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◇愚直に生きる道  ~石田三成公を想う。

石田三成公が大好きで、リンクもしています。

三成公といえば、
「大一大万大吉」の旗印ですね。

石田三成


この六文字が意味するのは
「一人が万人の為に、万人が一人の為に尽くせば天下の人々は幸せになれる」
といったものです。



その三成公----

好きだけど、その到底足元にも及ばない。
リスペクトしようとも、まるで似ても似つかない(笑)

時代劇でいろんな役者が演じ、いろんな印象操作もされてきたので、良くも悪くもイメージが伴う。
が、真実はどうか?
リンク先でのお話は、客観的な事を積み重ねつつ、筆者の結論を述べています。
個人的にはこの結論に賛同したい。
(先ずはこのリンクをお読みいただき、話を続けさせて頂きたい。)

折しも、大河ドラマで三成公も登場。
強大な徳川内府(家康)との暗闘が続いていますね。

秀吉の生前は殊勝にも、臣下の衣をまとい、虎視眈々と次を狙う内府。
時代の趨勢は、正史の運命にあるとおり。

失礼ながら、よくも悪くも徳川家康公の腹芸が一枚上であったということと、
のちに徳川側につく豊臣恩顧の武将も、生き残る上でメリットもあったと回顧する。
正論を説く、真っ直ぐな三成公よりも、自分が可愛いのは世の常、悪くはない。
が、それは現代の価値観。
義に生きることに生きる価値を見出す時代に、徳川に付くことに義はない(と思う)。

三成公は腹芸のできぬ男だと思う。
そんな三成公が大好きだが、僕にとっては、一部は反面教師でもあります。
少しは腹芸を身に着けてゆこうと思う(笑)


「人生の師」を持つ身として言うなら、
三成公の生きざまこそ、 
我が師もまた、そのまた師に付き切った姿と被る。
だが不肖この僕自体、末弟子として師に遠く遠く及ばない。なんともまぁ情けないばかり。

さて、
20万石の一家臣でありながら、250万石の巨大な大名・徳川に戦いを挑んだ果敢な男・石田三成公。

一方、名もなき一青年であった若き頃の我が師。
師がどのように戦いきってこられたかは、ここで語るべくもありません。
両者のその後の歩みは、その後大きく違いましたが、
三成公の戦いをみるとき私は、
我が師の姿もまたその遠くない位置にかぶって見えるのです。


のちの世につくられた三成公のイメージは徳川史観。
その史観のように、もし三成公に人徳がなければ
あれほどの大きな戦いすらできなかったでしょう。

ただの一人の脱走する兵もなく果敢に戦い全員散った石田軍。
将として一流であった証しです。

猛将、島左近とのエピソードしかり、
三成の傍にいた人たちは、側近から兵に至るまで、誰一人裏切っていないのです。


関ケ原が決着後、徳川軍が質素な佐和山城を見た時、三成公の真実を知りました。
私腹とは無縁の男でした。



徳川光圀公、西郷隆盛公、
多くの巨星がのちに、三成公こそ真の義の人とたたえたそうです。


誤解も多い人ですが、
静かに私はこれからも三成公を語ってゆこうと思います。

義とは、かくありたい----と。



現代人の私に、極限の状況下があったとして、できることは数少ないとは思います。
ですが、目の前の仕事や、
まもるべきものの前において、
愚直にやりきることの大切さをせめて胸に、がんばってゆきたいと思います。




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◇とある台詞、『正論は正しい。だが、正論を武器にする奴は正しくない。』に想う。

最近、ドラマで  ( 「図書館戦争」 )
『正論は正しい。だが、正論を武器にする奴は正しくない。』
というセリフを聞いた時、 「ああ、これだ」 と思いました。

その時に「これだ」と気づいたのではなく、
最近、自分が言いたかった「ニュアンス」が、これに当てはまると思ったものです。


それは同時に、
過ちや失敗を「責める」よりも、「寄り添うもの」に通じます。

「何のための正論か?」
更には、「何のために正義はあるのか」を考えさせられるもの。
正論って、けっして「正義」には結びつかないのも確かです。

また、正論のために正論があるのではなく、
(つまり、例えば「組織維持」のためのものであったり)
「どうしたいの?」の答えの向こうに、
その「正論」が生きてくる。
それを生かさない「正論」であるならば、そんな正論なんて邪魔でしかないと僕は思うんだ。

だから、正論自体は手段のひとつであって、
けっして目的そのものではない。
正論をわかっているけれども、
それがその人を苦しめることだってある。
「正義」の目的がどこにあるか、しっかり見失わずにいたい。

そこから行き着くと、
アタックよりも、フォロー。
蘇生のプロセスは幾通りもある。

遠く離れた“演壇”から、
十把一束に正論をぶつけるのではなく、
膝詰めで、その人の重い荷物を支えてあげたい。

役割はいろいろあるかもしれないけれど、
僕は落ちこぼれた側、あるいは悩める側に寄り添い、
いっしょに這い上がってゆくほうを選ぶ。


バカには
バカの気持ち。
ろくでなしには、
ろくでなしの気持ちがわかる。

ああ、誰の事でもないよ、
どっちも、僕のこと(笑)


教科書にはない方程式を捨てないでゆく、僕は。




◇生きてるだけで、丸もうけ。  ~そうだ、図書館に行こう!

今、あまりにも有名になった鎌倉図書館のツィート。
そういえば、明朝は子供たちの夏休み最終日だという人も多いだろう。
今一度、読み返したい。




では、私から。  (追記)







子供たちは勿論、オトナも逃げてええんやで。 

死んでしまうぐらいなら、生きて
仕事もなんもかも全部捨てても、何とかなるもんや。 
ワシもむかし逃げた。
でもこうやって生きとる。

卑怯者でもええねん、逃げろ。 
とりあえず、誰かに会え! 

生きてるだけで、丸もうけやで、人生は。

( `ー´)ノ




とりあえず、メシ食おうか。 
fe715fd4.jpg



周囲を見て、
何かを感じたら、声をかけてあげる勇気を。

たのむで、みんな。

例えば、こういうことも。


///////


(おまけ)

昨今、想像力が足りない人が多いのと、
いざという出会いに、一歩も動けない人が多い。

明日から二学期・・・ だから何があるのか。 その想像力。
そして、何をする? できる?
ほんとうに声がでるの?

ほんとうに動ける人が尊いんだ。

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◇声   ~心の“どこでもドア”でGo!

ある方の幼い頃のお話をします。


声の変な女の子がいました。----

元々、お母さんが『お菓子をあげるから少し黙っていてね』というぐらい、お喋りでした。

ところがある日、『○○ちゃんって声が変だね』とある子が言い出しました。
それを聞いて周りの子たちも、『そういえば、そうだね』といいました。

それを聞いた彼女は、それ以来お喋りが怖くなり、
だんだんと喋らなくなってゆきました。

ある日、お母さんは言いました。
『最近、すっかり喋らなくなったけど、どうしたの?』

彼女はお母さんに思いをすべて吐露しました。

それを聞いたお母さんは、
『あなたがそんな考えだったなんて、お母さんガッカリだわ。
いい?
弱いところ(弱点、短所)をね、弱いからいって使わなくちゃ、
どんどん、もっともっと弱くなっちゃうのよ。

からだのどこだって、使わなきゃそのうち動かなくなってしまうの。
だから、どんどん喋りなさい。』


それから、彼女はまた元のとおり、元気に喋るようになってゆきました。
それにも増して、放送部でどんどんアナウンスし、
彼女の動物の鳴き真似なんかが凄く評判になったりもしました。

そしていつしか、彼女は大きく夢を持ち、実現してゆくことになります。
今、声優として彼女を知らない人はいません。
彼女の名は-----

大山のぶ代さん。
ご存知、ドラえもんの声をやっておられた人です。


自分を「輝かせる」キッカケ創り。---
そこを得たとき、面白いように前に進みます。


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◇輝きの人生   ~ハート・ユニバーサルデザインへ

できれば、少しづつでいいから全方向に目を向けてゆけるように…
いえ、全方向に「気づき」ができるようにいたい。
そう願っているのですが、なかなそうもいかない…。

できないのなら、せめてアンテナは張っておきたいと思います。謙虚に。
「善行」は、“キャンペーン”で終わらせてはいけませんね。

人はいろんな事を抱えて生きています。
その誰しもが公平に生きてゆけるよう、
こんどは「ハート・ユニバーサルデザイン」(造語)な世界を作ってゆかねばならないと思います。
(過日、「カラーユニバーサルデザイン」についてお話ししましたねヽ(^。^)  )



ネットで出あった、ある方のブログを、拙ブログでリンクささていただいております。
チャトラさまのカメラアングル。
皆さま、お気づきになりましたか?
時折気づくのですが、車椅子目線と申しますか…
表現がうまく言えないのですが、なんだかこう「やわらかい視線」なんです。
「思いつき」ではけっしてできないものがあります。
私は驚嘆してばかりです。



そういえば、例えば世界的に著名なある画家について、
「彼は実は色覚異常だったのではないか?」と現代では分析されています。
絶対に成し得ない…、もしかしたら障がいゆえの「結果的に」なのかは知りませんが、独特の色彩を放っている…、と。
これ、凄いなぁと思いました。
(色覚障がいの私も、小学校のときの絵の配色を褒めてもらったことがありますが、レベルが違いますね・笑)



かつて住んでいたご近所に、右手を欠損されている壮年さんがいらして、
それでも得意の書の腕前を生かし、地域の行事にその腕前をふるっておられました。
まったくハンデを感じさせない素晴らしい腕前です。
(私も書の嗜みがございまして、よく語り合っていました。)

あるとき、とある作家先生に書を送られたそうで、
すると先生は「この方は右手が不自由な方ですね」とおっしゃったそうです。(うわっ!)
激励とともに、和歌を贈られたそうです。
「まさかお気づきとは!」と、その壮年さんは感極り涙しました。



またある壮年、
支援学校の送迎バスを運転なさっているそうです。(嘱託かな?)
もともと、路線バスの運行をなさっていた、いわばプロ。
他のバスと大きく違うことがあるんですって。
「お迎え」ごとに、いつも全てのお母さんたちが、
『まるで神様に感謝をささげるように、僕に深々と言葉や礼を尽くしてくださる。』 のだそうです。

『僕はただの運転手。だけれど、お母さんたちにはこの支援学校すべての職員・関係者が、
ただ普通の職員には思えないんだろうね。こっちも気持ちが痛いほど伝わるんだ。』
そう、おっしゃっていました。
私、泣きそうになりました。 親目線も重なって。
「そりゃそうだ」ってね。





私、大学の専攻もその後の職業も、まったく畑違いなのですが、
何故か介護関係の資格を持っております。

-----忘れないために。

我が子が生まれたあと、約一年間はほんとうに不安の連続でした。
発達関連の専門医から「整肢学園」(←クリック)をも紹介され、
広い角度から専門家の意見や診断を受け、「その時」に備えました。
園の様子にはほんとうに度胆を抜かれました。
不安で仕方なかったのは勿論のこと、いちばん心を痛めていたのは妻だったと思います。
なんと申しますか、「自責」の念を含めて…。
「母」とはそういうものなのです。

その後いろんな事を経て、お陰さまで普通の暮らしを過ごすことが出来ました。
ほんの短い期間でしたが、将来へのとてつもない不安を抱いた日々は、生涯忘れません。
と同時に、「その視点」(この意味、お分かりでしょうか?)は持ち続けていこうと思いました。
感謝を忘れずに---。

当事者になる---。
「もしかしたら」、そんな誰しもが有りうることを思えば、人生観も違ってくるものです。



明年はちょっと幅を広げてチャレンジしたいことがあります。
というか、チャレンジって大なり小なり毎年していますから、
チャレンジ自体に「幅」を持たせたい…と思っております。
少し、ワクワク(笑)
年齢的に「残り」のほうが少ないんだし(笑)、時間は待ってはくれないよ…なぁんてね。
ちょっと余裕が出ていたのかなぁ。

ずっと、「生きること」「生活を支えること」に追われていたような気がする。
今だってそうには違いないんだけど、
気持ちの中で、何か置きどころを変えれば、いつだって新鮮になれるのかも---。

私も負けていられません。
自分にしかできない輝きを放てるよう、頑張りたいと思います(^_^)v


♪あたしの向こう

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ネットの「キャンぺ-ン」ではなく、
私は「人生」に刻んでいる。

Information

南部(みなべ)蔵之介

Author:南部(みなべ)蔵之介
昭和生まれ、父、夫、勤労者、
平凡な大阪人のオッサンです。


※ご訪問いただき、いつもありがとうございます。
コメントフリーですが、頂いたコメントは公開/非公開ともに、基本的にめったにお返事はできません。
しかし必ず目を通しております。ありがとうございます。

ちなみに、当ブログではアクセス解析など一切やっておりませんので、ご安心の上お楽しみください。


【ご閲覧の皆さまへ】

*当サイトは、基本的にコラムやエッセイの綴る場に特化します。
「日記(ブログ)」とは言い難いようなもの、例えば諸事感想や主張、随想などです。

*日々のブログ(日記)は、Amebaブログに綴ります。(URLはリンク欄にてクリック)

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