すぐ傍にあるしあわせ
今、あまりにも有名になった鎌倉図書館のツィート。
そういえば、明朝は子供たちの夏休み最終日だという人も多いだろう。
今一度、読み返したい。




では、私から。  (追記)







子供たちは勿論、オトナも逃げてええんやで。 

死んでしまうぐらいなら、生きて
仕事もなんもかも全部捨てても、何とかなるもんや。 
ワシもむかし逃げた。
でもこうやって生きとる。

卑怯者でもええねん、逃げろ。 
とりあえず、誰かに会え! 

生きてるだけで、丸もうけやで、人生は。

( `ー´)ノ




とりあえず、メシ食おうか。 
fe715fd4.jpg



周囲を見て、
何かを感じたら、声をかけてあげる勇気を。

たのむで、みんな。

例えば、こういうことも。


///////


(おまけ)

昨今、想像力が足りない人が多いのと、
いざという出会いに、一歩も動けない人が多い。

明日から二学期・・・ だから何があるのか。 その想像力。
そして、何をする? できる?
ほんとうに声がでるの?

ほんとうに動ける人が尊いんだ。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村・投票ありがとう





【2015/08/31 00:01】 | ◇人生観・福祉共生
|
ある方の幼い頃のお話をします。


声の変な女の子がいました。----

元々、お母さんが『お菓子をあげるから少し黙っていてね』というぐらい、お喋りでした。

ところがある日、『○○ちゃんって声が変だね』とある子が言い出しました。
それを聞いて周りの子たちも、『そういえば、そうだね』といいました。

それを聞いた彼女は、それ以来お喋りが怖くなり、
だんだんと喋らなくなってゆきました。

ある日、お母さんは言いました。
『最近、すっかり喋らなくなったけど、どうしたの?』

彼女はお母さんに思いをすべて吐露しました。

それを聞いたお母さんは、
『あなたがそんな考えだったなんて、お母さんガッカリだわ。
いい?
弱いところ(弱点、短所)をね、弱いからいって使わなくちゃ、
どんどん、もっともっと弱くなっちゃうのよ。

からだのどこだって、使わなきゃそのうち動かなくなってしまうの。
だから、どんどん喋りなさい。』


それから、彼女はまた元のとおり、元気に喋るようになってゆきました。
それにも増して、放送部でどんどんアナウンスし、
彼女の動物の鳴き真似なんかが凄く評判になったりもしました。

そしていつしか、彼女は大きく夢を持ち、実現してゆくことになります。
今、声優として彼女を知らない人はいません。
彼女の名は-----

大山のぶ代さん。
ご存知、ドラえもんの声をやっておられた人です。


自分を「輝かせる」キッカケ創り。---
そこを得たとき、面白いように前に進みます。


ブログランキング・にほんブログ村へ



ブログトップへ

【2015/03/05 00:01】 | ◇人生観・福祉共生
|
できれば、少しづつでいいから全方向に目を向けてゆけるように…
いえ、全方向に「気づき」ができるようにいたい。
そう願っているのですが、なかなそうもいかない…。

できないのなら、せめてアンテナは張っておきたいと思います。謙虚に。
「善行」は、“キャンペーン”で終わらせてはいけませんね。

人はいろんな事を抱えて生きています。
その誰しもが公平に生きてゆけるよう、
こんどは「ハート・ユニバーサルデザイン」(造語)な世界を作ってゆかねばならないと思います。
(過日、「カラーユニバーサルデザイン」についてお話ししましたねヽ(^。^)  )



ネットで出あった、ある方のブログを、拙ブログでリンクささていただいております。
チャトラさまのカメラアングル。
皆さま、お気づきになりましたか?
時折気づくのですが、車椅子目線と申しますか…
表現がうまく言えないのですが、なんだかこう「やわらかい視線」なんです。
「思いつき」ではけっしてできないものがあります。
私は驚嘆してばかりです。



そういえば、例えば世界的に著名なある画家について、
「彼は実は色覚異常だったのではないか?」と現代では分析されています。
絶対に成し得ない…、もしかしたら障がいゆえの「結果的に」なのかは知りませんが、独特の色彩を放っている…、と。
これ、凄いなぁと思いました。
(色覚障がいの私も、小学校のときの絵の配色を褒めてもらったことがありますが、レベルが違いますね・笑)



かつて住んでいたご近所に、右手を欠損されている壮年さんがいらして、
それでも得意の書の腕前を生かし、地域の行事にその腕前をふるっておられました。
まったくハンデを感じさせない素晴らしい腕前です。
(私も書の嗜みがございまして、よく語り合っていました。)

あるとき、とある作家先生に書を送られたそうで、
すると先生は「この方は右手が不自由な方ですね」とおっしゃったそうです。(うわっ!)
激励とともに、和歌を贈られたそうです。
「まさかお気づきとは!」と、その壮年さんは感極り涙しました。



またある壮年、
支援学校の送迎バスを運転なさっているそうです。(嘱託かな?)
もともと、路線バスの運行をなさっていた、いわばプロ。
他のバスと大きく違うことがあるんですって。
「お迎え」ごとに、いつも全てのお母さんたちが、
『まるで神様に感謝をささげるように、僕に深々と言葉や礼を尽くしてくださる。』 のだそうです。

『僕はただの運転手。だけれど、お母さんたちにはこの支援学校すべての職員・関係者が、
ただ普通の職員には思えないんだろうね。こっちも気持ちが痛いほど伝わるんだ。』
そう、おっしゃっていました。
私、泣きそうになりました。 親目線も重なって。
「そりゃそうだ」ってね。





私、大学の専攻もその後の職業も、まったく畑違いなのですが、
何故か介護関係の資格を持っております。

-----忘れないために。

我が子が生まれたあと、約一年間はほんとうに不安の連続でした。
発達関連の専門医から「整肢学園」(←クリック)をも紹介され、
広い角度から専門家の意見や診断を受け、「その時」に備えました。
園の様子にはほんとうに度胆を抜かれました。
不安で仕方なかったのは勿論のこと、いちばん心を痛めていたのは妻だったと思います。
なんと申しますか、「自責」の念を含めて…。
「母」とはそういうものなのです。

その後いろんな事を経て、お陰さまで普通の暮らしを過ごすことが出来ました。
ほんの短い期間でしたが、将来へのとてつもない不安を抱いた日々は、生涯忘れません。
と同時に、「その視点」(この意味、お分かりでしょうか?)は持ち続けていこうと思いました。
感謝を忘れずに---。

当事者になる---。
「もしかしたら」、そんな誰しもが有りうることを思えば、人生観も違ってくるものです。



明年はちょっと幅を広げてチャレンジしたいことがあります。
というか、チャレンジって大なり小なり毎年していますから、
チャレンジ自体に「幅」を持たせたい…と思っております。
少し、ワクワク(笑)
年齢的に「残り」のほうが少ないんだし(笑)、時間は待ってはくれないよ…なぁんてね。
ちょっと余裕が出ていたのかなぁ。

ずっと、「生きること」「生活を支えること」に追われていたような気がする。
今だってそうには違いないんだけど、
気持ちの中で、何か置きどころを変えれば、いつだって新鮮になれるのかも---。

私も負けていられません。
自分にしかできない輝きを放てるよう、頑張りたいと思います(^_^)v


♪あたしの向こう

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

ネットの「キャンぺ-ン」ではなく、
私は「人生」に刻んでいる。


【2014/12/30 05:05】 | ◇人生観・福祉共生
|


いまり
イクゾー様、この1年、その説は本当にお世話になりました。
暖かな言葉、激励、どれ程頂いたでしょう。

イクゾー様のブログは、イクゾー様ご自身の生活に触れられた事ばかりで、とてもリアルな言葉に感じます。
言い方が微妙ですが、生の声と言うものはこう言ったものなのでしょうね。重みがありますし、考えさせられます。
身内の愚痴を晒すのとは、生々しさの種類が違うなと思います。ただの恥さらしにならない様に、私も気をつけます。

私は既に父は他界しておりますが、男気があり情け深く、生き方が不器用な父が大好きでした。
お子様もイクゾー様の事、大好きですよ。
スマートな生き方よりも、人情を重んじる所は、父とイクゾー様はそっくりです。

社会にある不条理も理不尽、沢山ありますよね。
そう言った事にぶつかって、立ち上がって、歩んで来られた姿は、
ご家族が一番おわかりになられていると思うのです。

私もそんな家族になりたいです。
と、子達とどら猫の顔をチラッと見たりして(笑)

この1年、本当に本当にありがとうございました。
来年も頑張ります、どうぞよろしくお願いいたします。

No title
チャトラ
本記事にて採り上げていただき、大変恐縮しております。
写真は、下手の横好きでやっていますが、「やわらかい視線」、そう感じていただけたら、本当に嬉しいです。大変励みになります。ありがとうございます。

「カラーユニバーサルデザイン」他、一連の記事も拝見しました。
一時期、ある施設で、障害者相談員の方を、スタッフとしてお手伝いしていたことがあります。
その際、様々な障害を持った方とお会いしていましたが、まだまだ自分の知らない大変な苦労をなさっている方もおられるのですね。
これからは、もっとアンテナを高くして、大変な思いをなさっている方々の声に、耳を傾けていきたいと思います。

そうそう、「ハート・ユニバーサルデザイン」、「心のバリアフリー」は良く聞きましたが、こちらの方がより良い考え方だと思います。

追伸:いまりさんのコメント、ご夫婦のご様子も伺えて、嬉しかったです。

コメントを閉じる▲
駅のホームアナウンスが、上下線を男女の声で別々に工夫されていることが多いのをご存じでしょうか。
ある一定の距離に近づくと、自動音声によって案内されます。

これは、視覚障がい者の方へのアシストとなるばかりか、
健常者にとっても、同時到着アナウンスによる(聞きとり)混乱を防ぐという意味でもあります。

このような安全配慮を、「あえて広くPRしていない理由」があります。
ひとつは、あくまでホームにいる人へのものであり、
更には、広く周知することによって、逆にそれを「頼り」にしてしまう駆け込み乗車の
増加を防ぐ意味もあるのです。

駆け込み乗車は、ご当人の危険は勿論のこと、列車の安全運行に大きな支障となることは言うまでもありません。

慌てて乗り込む人の「視線」は、ほんとうに狭くなりがちですし、例えば視覚障がい者さんやお年寄りに
激突するこだってありうります。

ヘンな言い方かもしれませんが、
鉄道会社が 『ウチはこんなに障がい者さんに優しい配慮をしています!』 とPRすれば、
きっと 「好感度」 も上がるのでしょうが、
『何もそんな「善人」になることが目的ではないよ』 との自負が聞こえてきそうです。

《安全運行》そのものが使命であり続けるために、
愚直にやり抜くことこそが「PR」になっている、そんな心意気を感じます。

職業柄、私も深く共感するものです。
安全を確保する《保安品質》とは、 実は「もっとその先」を見つめているのです。


「ええカッコ 」ではなく、
「善意を見せびらかす」 のでもなく、 
そこからくる 「達成感」 「高揚感」 でもなく、

《ほんとうになさねばならないこと》 を中心に据えてゆくこと。
これが本道であり、王道です。

そういう意味で考えると、
気配り、心配りして差し上げるべき方々への 「善意の行動」 は、
《当たり前》の次元 だという事です。



ブログランキング・にほんブログ村へ
応援クリックありがとうございます。








【2014/12/29 00:01】 | ◇人生観・福祉共生
|


しぃ
実はね、私は男女アナウンスの使い分けは知っておりました。
昔、声のお仕事をしておりましたので、教えていただきました。何処かで声だけですが、お会いしているかも知れませんね。

幸いにも五体に不安がない者が、いわゆる障がいと言われるハンデを持ってしまった方々に対して出来ること。それは助けが必要な時に力になれる事。

イクゾー様の仰るとおり、ブログの記事で紹介して知ってもらう事は可能でしょうが、はたから見ればこんな活動をしているのだと誇示している様にも感じますね。
何故なら、実際に現場で働きかける努力が欠けているから。本からの知識をただそこに書いているだけ。
日記としてこっそりならともかく。
ブログは世界中に届きますから、さも私は知っているんだと言わんばかりで、実際は本の受け売りでは残念ですもの。

誇示している人に問いかけたいです。

点字を打てますか?読めますか?
ガイドヘルパーの資格はとらないの(視覚障がい者のガイドヘルパーは3日で取れます。他、沢山あります)
介護の資格は?
盲導犬の知識は本を読めば出来ます。では実際に募金した事がありますか?パピーウォーカーになったことは?
視覚障がい者協会が各地にありますが、募金活動に参加したことは?

例えば視覚障がい者の方を支援するなら、それをブログで誇示するなら、現場で通ずる力を(彼らの助けとなる力を)つける努力をしたか?と思うのです。
でないと、ネットに転がっている知識を我がものの様に書いているだけで、
自身は当事者ではないものだから、スピーカーに過ぎない。


実際に生活の中で、誰かを助けると言うのは中々、難しいものです。
突然のトラブルで体が動かなかったり、どうしたら良いかわからなかったり。
実際に動く為の努力は大切と思います。
体で感じて動ける力が必要ですよね。それが当たり前の事なのだから。

かく言う私もまだまだ勉強も経験も不足です。
動ける人でありたいと、心がけております。






Re: タイトルなし
イクゾー
しぃさま、こんばんわ。
そうですね、お聴きできているかも?(笑)

さて、
どなたの事をおっしゃっているのか、ピンときました(;^ω^)

厳しいご指摘ですが、大切な話が詰まっていると感じました。
そろそろ、みんなで考えてゆけたらいいですね。



あと介護の経験なんかも。

私は亡母の時にありますが、
介護で大事な視点なんかも、過去にブログ記事に致しました。

誰かのお役に立てれば…と綴ったのですが。
そういうのも含め、ぜんぶ記事を吹っ飛ばしてしまいました(笑)

コメントを閉じる▲
家族に言わせれば、
私、口癖のように 『流れに任せるのが流儀』 と言っているようです。

あー、そんなカッコいい台詞じゃありませんが、
まぁ似たようなものです(笑)

小さな「アンラッキー」に動じない。
何か意味がある。
絶対軸に自信があるから、目の前の出来事は全て瑞相だと確信しているのです。

なんとも幸せな思考回路です(笑)


何かを祈る時もそう。
先に 『叶ってありがとうございます。』

えっ?(笑)
そりゃそうです、大確信ですからね
無条件ですよ。

実際は、泣きながらそうやって
叶う姿を確信して祈ってました。

「お願い事」じゃないんですよね。 祈りの要諦は。




「それほどまでに」…、確信を持っていますか?
それほどまでに、力、あるんですよね?

口ではいかようにも讃え、
でも、そのぐらいの大確信が、なかなか思えない…。 
そんな感じの人、たくさん見てきました。

大聖人の一遍、
僕らの一遍、
どこが違うのか?
同じ? いえいえ。 じゃ何?
その「確信」の差です。
確信がいまいち思えないから、何時間も必要なのです。

100万遍という通過点。
もの凄いことになっていますよね?
もう何が起こっても完全無敵のような…(笑)

凡夫の変身---、
題目はまるで「ライダーベルト」ですなぁ。
ずいぶんと“変身”しましたよ(笑)

「魔」という名の「ショッカー」をやっつけろ!





昭和のヒーロー、大好きですねー。
まーた、熱く「昭和」を語ると、娘からドン引きされます(笑)

まぁいろいろギャップはありながらも、
私だって、きゃりーぱみゅぱみゅ踊れます(^O^)


『パーパ、また綿棒、そこいら落ちてるー』

ゴミ箱めがけ、とぉー! (入らない・笑)
よく我が家の女性人陣に叱られます。

成長のない、でっかい“コドモ”が、我が家にひとりいるらしいです。

はい、がんばりますヽ(^。^)ノ



♪ファッションモンスター
♪にんじゃりばんばん

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
↑応援クリックありがとうございます。


※自分のこと、お伝えできる「体験談」も、まぁ結構あったわけですが、
以前、書いたものぜーんぶ吹っ飛ばしてしまいましてねぇ(笑)
もう面倒なんでまた書こうなんざ、気力もない。 きれいさっぱり無いんですわ。
つまんねーブログ、やってます。 ははは(^○^)



【2014/12/26 00:01】 | ◇人生観・福祉共生
|

大確信
あべひ
※小さな「アンラッキー」に動じない。
 何か意味がある。


なるほど。
わたしはむしろ小さなアンラッキーよりも、大きなアンラッキーに動じない(信心がぶれない)ことが大確信なのだとおもいます。


Re: 大確信
イクゾー
あべひさん、コメントありがとうございます。

言葉足らずな面もあるかと思います。
されど、万能な語句も思い浮かびません。

ただ、「紛らわしく、競い起こる」という連祖のご指導に照らせば、
「デッカい石」につまづき転ぶ人は、まずいないことでしょう。

小さいことに動じない、とは
小さいことに「すら」動じない、に置き換えることもできるかと思います。

子育てにも通じますが、
小さなシグナルに気づくことは、大きな壁も防いだり、強くなれたりもします。





コメントを閉じる▲