すぐ傍にあるしあわせ
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記事タイトルで驚かしたみたいですね(笑)
ごめんなさい。

雑用をしながら、テレビでなんとなく箱根駅伝を見ていました。
我が子ともいえるぐらいの若者が
一生懸命に走る姿はこちらも熱くなりますね( `ー´)ノ

一部ネットではS大ばかりがご贔屓になっているのかな?
確かに初出場は快挙です。 
数々のエピソードも存じております。 新たな歴史を刻みましたね。

ただ、 私は もし母校や我が子の学校が出場していた…なんてしたら、
容赦なく 「打倒、S大!」 と叫びます(笑)

ええ、スポーツマンシップの範囲の話ですが(^○^)
ハハハ。

そりゃ、そうでしょう?
自分に直接関係あるほうを応援するのは、普通の流れじゃないですか。




さて熱い戦い、 皆さまはどこに注目されましたか?

私は、途中でさまざまなアクシデントに遭いながらも、
けっして走ることを止めない姿に感動を覚えました。

よく、人生をマラソンに例えることがありますね。駅伝しかりです。
人生の途上、幾度も困難が立ちふさがります。
でも、そういう時
家族や仲間、大切な人のためにも、けっして諦めてはいけない…
自分ひとりじゃない。
俺も!お前も!
だからやれるんだ、と。

出場、素晴らしい。
勝った勝ったも、素晴らしい。
でも、私はアクシデントに遭うことは誰にだってあることを念頭に、
そのときに何をするのか?を
そこから学び、勇気をもらえることが何より素晴らしいと思いました。

長い人生の途上、
時に、歩いたっていいじゃないですか。
諦めない気持ちがそこにあれば---。


なお、走り終えたあと
振り返ってコースに一礼していたのは早○田大とS大だけだったかな…
指導者(監督)の方針、教育でしょうか。
観ていて気持ちのいい習慣ですね(^○^)


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【余談】

ところで、その箱根駅伝。
正式名称は 『東京箱根間往復大学駅伝競走』と言うそうです。

とくにS会員の方が盛り上がっているところ申し訳ないのですが、
この箱根駅伝、実は関東における「地方大会」に過ぎないのです。

私も、S大が出るっていうので、これまであまり興味がない中、注目するようになりました。
ええ、実にいいものです。これはもうドラマですね。
ただ、それとは別に
この一大イベントに 「なんで関西や地方の大学が出ていないんだろう?」 と、今更ながら疑問に思ったのです。
そしたら、実は関東だけの大会だったというわけです。
(ド素人でスミマセン)

べつにひがんでいるわけではありません(笑)
ただ、複眼といいますか、
純粋に「ちよっとヘンだな」と思う視点も浮き上がってきましたところ、
やはり、スポーツの美しさ、純粋さとはかけ離れた「問題点」があるようです。

※Wikipedia「東京箱根間往復大学駅伝競走」(←クリック)
 後段に 「箱根駅伝が抱える問題」 という章がありますが、ぜひご覧になってみてください。
(物事は複眼でみることが大事ですね)

その記述に、例えばこうあります。(要旨抜粋)

...........................................................................................


 箱根駅伝を出雲駅伝・全日本大学駅伝とともに「大学三大駅伝」と並び称する人やメディアも少なくないが、出雲駅伝と全日本大学駅伝が全国大会(主催:日本学連)なのに対し、箱根駅伝は日本学連傘下の一組織である関東学連が主催する地方大会にすぎない。
 しかし、近年では関東の各大学が、年間の最大の目標を箱根駅伝に置く傾向が強く、そのため、全国大会で本来最も権威の高いはずの出雲駅伝と全日本大学駅伝を、単なる箱根駅伝の前哨戦又は調整試合という意味合いで戦い、必ずしもベストメンバーを送り込まない大学も少なくない。
 また、地方大会であるはずの箱根駅伝が学生駅伝最大のイベントになったことで、他の大学スポーツと同様、長距離の人材の東京一極集中が起こっている
 このほか、関東地区の地方大会がゆえに当大会の出場は原則として関東学連の加盟校に限られる一方、テレビ報道の影響により箱根駅伝が全国的に知名度が高いスポーツイベントになったことで、他地域の大学にも門戸を開くべきであるという声がしばしば発生する。
 関東学連では1960年代に予選会への出場を他地域のチームに開放することを検討したことがあるが、予選会への参加を全国に開放した場合には全国大会となるため、大会の主管を日本学連へ移す必要が生じる。 
開催の主導権が変わることを避けたかった関東学連有力校のOBらが中心になって反対したため、結局この時の門戸開放は実現しなかった。 
 この動きを受けた他の学連は、関西学連・東海学連が中心になり、箱根より高い権威を持つ全国大会を創設する目的で全日本大学駅伝の創設に導いた。 
 こうした事情があるため、関東学連は全日本大学駅伝の創設に最後まで反対。 これ以降は箱根駅伝を関東以外の大学に開放しようという意見は消滅することになる。
 なお、第90回(2014年)では記念大会による増枠分3枠を関東以外のチームに与えるとの報道がされていたが、学連選抜としてなのか単独チームとしてなのかは明らかにされていなかった。 結局、関東のチームのみとなった。
 しかし近年、全日本大学駅伝の出場校が関東の大学と他地域の大学で実力差が如実に出るようになった。これは男子学生陸上競技界特有の現象であるとされる。
上位をほぼすべて関東の大学が占める一方で、地方から出場している大学が半分も行かない地点で既に繰り上げスタートになってしまう事態が発生するに至って、全日本大学駅伝の権威が著しく低下している。
 文部科学省では現在でも、全国大会は、実力本位の選手権大会と、選抜大会の2つしか開催しないよう学生競技団体へ指導を行っており、箱根駅伝が国内の全大学に門戸開放されると、全国大会として運営されている出雲駅伝および全日本大学駅伝との関係が問題となる。 しかし現実には箱根駅伝が、現存する日本の駅伝では最も古い歴史を持つ大会であり、知名度も高いことを勘案すると、長年にわたり主催してきた関東学連が当大会を手放すことは考えにくい。
 2010年1月に行われた監督会議では、関東学連選抜枠を「廃止」もしくは「『全国』にも門戸を開く」案を含めて見直しの方向に入るとマスメディアによって報じられ、第89回(2013年)までは存続した。


...........................................................................................

とまぁ、いといろあるようです。
つまりは、関東以外の大学抜きに、ひとつの「学生一」があるわけですね。

あと、 「燃え尽き症候群」化だとか、「トラック軽視」だとか、問題点も生んでいる…。
ちょっと勉強になりました。


地方で頑張っている学生さんもいます。
彼らも同じ青春。
どうぞ、応援してあげてください。


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関東、とりわけ東京の人は、
どーも自分たちの周囲の出来事が、ナンデモ「全国区」だと思い込んでいるようです(;´∀`)

一度、なにかにつけ 「視点を変えてみる」 ことをおススメします。
また新たな発見があるかも?ですよ。

【2015/01/04 00:01】 | ◇論壇・主張
|

No title
チャトラ
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もどうかよろしお願いいたします。

箱根駅伝、アクシデントに負けない姿には、本当に勇気を貰いました。
特に往路で駒大アンカーが倒れそうになりながらゴールを目指す姿、思わず涙声になりながら、何度も頑張れと呟いていました。

一方、私も、昨日一昨日とすっかり舞い上がっておりましたが、冷静に考えると物事にはその裏に様々な問題を抱えているものですね。
そのような気付きを与えてくれる記事、今年も楽しみにしております。

それから、冬道走行の件、お気遣いいただきありがとうございます。
因みに、私は使った事はありませんが、溝が深いブロックパターンのスタッドレスタイやのような車いす用タイヤはあるようです。

仰るように、ちょっとした気付きによってあらゆる面でユニバーサルデザイン的な考えを取り入れられたら、どんな人でも住みやすい社会にできるでしょうね。

Re: No title
イクゾー
チャトラさま、こちらこそ今年も宜しくお願い致します(^○^)

あれだけ鍛えあげた体でも、予想もつかないアクシデントも起こりうることを目の当たりに見ましたね。
大応援団は時に選手に勇気を与えますが、重圧やら相当あったと思いますし、
なにより思い描いた結果が出なかった選手、とりわけ「期待を裏切った」と自責の念にかられる選手が、再起されるよう心から願うばかりです。

車椅子車輪の件、なるほど。
よくよく考えてみれば、あらゆる走行タイヤと同様に、
走行(使用)状況に合わせて種類が存在し、使用条件によって寿命も異なるのでしょうね。
また、アクシデント(つまりパンク、バースト等)にどのように対応するか?等、
車椅子と一言で言っても、それは使用する人にとっては『足』そのものですから、
日頃からのメンテも含めて、気を遣うことが絶えませんね。

車輪のタイヤの寿命はどのくらいで、コストはいくらか…。
そういう知識も広く知られていれば、みんなで知恵を出し合えますね。
例えば政治家は知っているか?ということにもなります。
タイヤ交換に公的補助があるのか存じませんが、
私も含めて、
日頃、さも「福祉」に“ええカッコ”言っている人が、
さぁどこまで知っているのか?… 
このベースを広げる社会を目指したいものです。

やることは多いはずなのですが…





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天皇陛下は昨日(23日)、81歳のお誕生日を迎えられました。
謹んでお祝い申し上げます。

陛下の記者会見で、とくに印象に残った中に、
雪下ろしの高齢者を心配しておられましたが、「ああ、ここまで感じておられるのか」と、感動すら起こりました。

天皇陛下81歳の誕生日 会見全文(NHK NEWSWEB) ←クリック


さて、私は平成天皇陛下(今上陛下)と皇后陛下に対し、たいへん失礼な表現ではありますが
親しみとともに、ご尊敬申し上げております。
その理由と致しまして、とくに平和と国民の安穏に対し、いつも心を砕いておられるからです。


国旗
歴史を直視し、ともに未来へ。



■日本人として忘れてはならない4つの日

昭和56年8月7日に行われた記者会見で、陛下(当時皇太子殿下)は
「日本人として忘れてはならない4つの日がある」とおっしゃりました。
その4つの日とは、

8月6日の「広島原爆の日」
8月9日の「長崎原爆の日」
8月15日の「終戦記念日」
6月23日の「沖縄戦終結の日」 …です。

天皇皇后両陛下は、これら4つの日を特別な日とお考えになり、戦没者の慰霊のために終日、お慎みになられるそうです。
さて、私たちはどうでしょう? けっして胸を張って言えないような気がします。



■“対馬丸の悲劇”両陛下が慰霊

本年6月27日(金)、沖縄をご訪問中の両陛下は、
太平洋戦争中に米軍に撃沈された疎開船『対馬丸(つしままる)』の犠牲者の慰霊碑を訪ねられました。

“対馬丸の悲劇”両陛下が慰霊 ( NHK ONLINE ) ←クリック

お読み頂ければよくわかると思いますが、陛下は犠牲となった学童と同世代。 胸に詰まるものをお持ちのようです。
そして、分刻みで予定が組まれている両陛下でありながら、
対馬丸の生存者や遺族の皆さんとの懇談は、予定時間を大幅に超えたそうですから、
どんな思いでいらしたか、察して余りあります。



■天皇陛下の憲法観

昨年の天皇誕生日(平成25年12月23日)には、日本国民が胸に刻んでおかねばならない重要なお言葉がありました。
この日、天皇陛下は80歳の傘寿を迎え、天皇の「お言葉」がマスコミに配布された中、以下の一文があります。


----「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」----



これは、明確な政治的発言が禁じられている陛下がギリギリのところでご胸中を語られたものと思います。
ただ、残念ながらその「お言葉」は、各マスコミの「立つ位置」によって、恣意的にカットされていたようです。

NHK、天皇陛下の「お言葉」を恣意的に一部カットして報道  ←クリック

「お言葉」全文はこれ。
天皇陛下の記者会見 (宮内庁HP)  ←クリック


私はこの日本国憲法はよくできたものだと感じております。
とはいえ、時代に応じた変化も必要になってくるかもしれませんし、一字一句変えてはならないとは思いません。
いくつかの「あいまい」な部分もあり、
「史上最高の文学作品」という皮肉を言う人もいます。
(それを言われ、読んでみるとなるほどと思ったこともあります。)
しかし、憲法の基本的な方向は絶対に変えてはならないと強く思っております。

とはいえ、いろんな考えが存在しているのも存じておりますし、
「占領下の押しつけ」として、新たに自分たちで憲法を作ろうとしている人たちもいます。
いわゆる「自主憲法制定」という考え方です。
歴史を振り返れば、その憲法が生まれた経緯は「押しつけ憲法」だったと評する人がいるかもしれません。

ですが、陛下のお考えはこのとおりです。 
国民主権の憲法下、陛下の言葉に「拘束」されるものではありませんが、
全国民にこのお声が届くことを願ってやみません。
陛下の「経緯」観は、必ずしも「押しつけ」だったとは見ていらっしゃらないことがわかります。

それでも、自分たちで作った憲法でなかった…としても、
今、この憲法の方向性を否定する人は、国民のいったい何割だというのでしょうか?
私は、この「経緯」にこだわる人の、「ほんとうの意図」に疑念を持たざるを得ません。

中には、さらにこの「国民主権」の一部を天皇主権に変えようという改憲派すらいます。
これは極端な指向の話かもしれませんが、
その主権を“与えたい”とする陛下の「お考え」が、上述のとおりなのですから、
陛下のお望みに「叶っていない」わけですよ、と申し上げたく思います。
おそらくは「天皇主権」にした上で、天皇の名の下に「コントロール」したいのでしょう。 戦前のように…
思惑が見え隠れしています。

私たちは陛下とともに、この日本国憲法を大切にし、
世界にその心を発信してゆきたいものです。



■陛下の「語録」(お言葉)を後世に残し、繰り返し学ぶ姿勢を。

勿論、言うまでもなく陛下のご存在は、日本国民の統合の象徴であり、
日本国民にもっとも慕われているお方であろうと思います。
一方、天皇陛下の政治利用はあってはなりません。
陛下の名のもとに何かがおこなわれるといった図式は、「いつかきた道」だと思います。

しかしながら、憲法遵守は明確に日本国憲法に書かれたことです。
あくまで憲法三原理、そして憲法理念と、そこに沿った国民生活の発展を願う陛下のお言葉を、
私たちは大切にしてゆくべきかと思うのです。

例えば、各々大切な人が語っていた言葉を忘れないのと同じように…。


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【2014/12/24 00:01】 | ◇論壇・主張
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