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◇「教育無償化」がこの国を変えるか。  大阪の挑戦~、そしてSGI会長の『4権分立(教育権の創設)』構想へ。

あるブログで、東京都の私立高校授業料無償化についてお話がありました。

教育問題については、人一倍興味と実感を持って読ませていただきました。
私は大阪に住んでおりまして、学生の子供がいる世代です。



■情報の「東京・一極集中」を垣間見ました。

ブログ主さんは東京にご在住ではないようで、東京でのこの出来事を喝采とともに羨ましく思われているようです。
と、当時に東京都議会でこの政策に尽力した公明党を称賛され、と同時にこの広がりを期待されておられます。

補足しておきますと、都議会で無償化に言及した政党は元々他党にもあったわけですが、具体的に「実現」の筋道をつけることは容易ではなく、その意味において公明党の役割は正しく評価されてよいものかと思います。


さて、それより先行して大阪では従来より、私立高校授業料無償化が実現しています。
(京都ではそれより更に以前よりありました)
全国的にはあまり知られていないようです。

東京の出来事がより大きく報じられるのは何かにつけて昔から。
「一極集中」は報道の世界でもあるようで、ある意味、東京の人たちが〝逆に〟「井の蛙」ではないか?と感じてしまうことが、これまでにも多々あったように思います。
この「私立高校授業料無償化」に関する問題でも顕著です。



■なぜ「私立高校」も無償化なのか?

「私立高校無償化」の是非について考えてみましょう。
公立高校だけではダメなのか?
---そういった声もあることかと思います。
それより以前から、公立高校授業料(相当額)が既に無償化され、一般論としては、
現状は殆どの生徒さんが、ご家庭の経済状況に支障なく「高校」に進学することが可能となっています。

にもかかわらず、何故「私立」なのか?

特色ある教育---、例えばスポーツや芸術、進学に向けた取り組み等々、公立高校になない特別な取り組みがあるのは事実です。
しかし、私立がゆえの高額な授業料はその「対価」であり、当然の出費と考えられてきました。
どんな学校、どんな特色ある授業を受けたいか、その「望み」が、ご家庭の経済格差によって「諦めざるを得ない」ことへの「常識」として、いわば正当化されていた時代がこれまで続いてきました。

核家族化が進んで久しいですが、それとともに「少子化」が顕著になり、一人ひとりの子どもの将来に向けて、より深く考える親が多くなりました。
しかも、従来のように、ただただ高学歴や受験競争だけを勝ち進むだけでなく、特色ある教育を受けさせたいと望む親世代も増えてきたようです。
その背景には、親世代の閉塞感もあります。大企業が安泰というわけでもなくなり、そうした世の中のニュースを見て育った子どもたちが抱く「自分の将来」に関して、自分たちなりの絵を描いているように思います。

そのような世相、背景の中、私立高校への期待が高まる中、それそれの都道府県ごとにバラバラの動きがあるのが現状です。
よくよく考えると、このような地域差は、政治状況や行政の「懐」具合で多分に変化が起こってしまうことも考えられます。



■大阪が抱えていた問題

では次に、大阪での取り組みについて考察します。
大阪ではそれより以前から、大胆な改革に取り組みが背景にあり、私立高校授業料無償化もその流れの一端でした。
全国都道府県の高校生学力順位が著しく低い現状があって、その学力低下の温床に、公立高校の質の低下が問題とされました。
橋下氏(知事~市長)の主導する改革によって、従来の学区制の廃止と、今や少子化を迎え過剰ともいうべき公立高校の「淘汰」を決断したのです。

定員割れが多数存在し、競争力のなくなったところに学習意欲のない生徒の受け皿のような有り様。
ただでされ、公立高校一つを維持するにどれだけの、人的、設備的ば維持経費がかかるかという現実が、大阪府・市の財政を圧迫の一端として問題視されました。
これに教職員組合は反発し、その忖度を受けた政党はこれをもって反対します。
が、事はただ「カットする」という単純な話ではなかったのです。

大阪での取り組みは、これからも続くであろう少子化を背景に、これまでの「公」が担うべき役割を、施設・設備から「負担」へと大胆に切り替えることだったのです。
折からの財政ひっ迫の中、公務員として抱える教職員の人件費、公立施設としての高校ひとつ維持し続ける莫大な経費。これは「固定」経費になります。
即ちこれも血税が原資ですから、これを年々変化すらする生徒(数)へ、直接投資(補助)するほうがよいとの考えに切り替えました。

その大胆な切り替えの要諦は、なくした(淘汰された)公立高校に代わる受け皿として、私立高校にそれを担わせ、その流動化する生徒数に応じて個々に授業料を府が肩代わりするというものです。
大阪府が東京都の取り組みと大きく異なるところはこの点です
ただ単なる教育政策、福祉政策ではなく、行政改革・財政改革と一体化したものでした。


---なお、「私学助成」という、従来からある「私学」に対する行政の補助について、この高校授業料無償化と混同した誤解があるようですので補足させていただきます。
「私学助成」は、あくまで 学校法人への助成です。したがって、それが生徒個々への授業料減額に全額使われることを約束したものではなく、あくまで経営について助成するものです。
それに対し、私立高校授業料無償化という取り組みは「生徒本人」への直接支援ですので、趣旨がまったく異なることを申し添えておきましょう。



■「人的投資」であるという国家戦略

さて、この私立高校授業料無償化に加え、幼児教育、更には大学進学についても大胆に「人的投資」をしてゆこうではないか?という取り組みもあるようです。
少し先走った表現になりましたが、これは弱者救済、福祉政策というよりも「人的投資」だと私は考えます。
これまでのように奨学金に頼るのではなく、誰しもが「将来計画」を経済で左右されることなく描くことができる社会を目指しているわけです。
このことは、個人の夢を実現させることのみならず、やがては国力の蓄えにもなることでしょう。
国力などと表現すれば、いささか右傾化した視点と捉えるやもしれませんがそうではなく、この国を動かすものも「人」であり、為政者だけでなく有権者もそこに含まれるのです。人は石垣、人は城…という視点に通じるものでしょうか。
「教育」に力を注ぐことは、この世界を豊かにする原動力になることだと思います。

しかし、この大きな理想も、時の政治状況や財政状況で左右されることがあるやもしれません。
実際に、「私立高校授業料無償化」すら、都道府県格差があるわけです。
そこで、例えば日本維新の会が提唱しているのが 「憲法に全ての教育無償化を明文化させよう」 という加憲構想です。
一方でそれに対し、「何も明文化させる必要はない」といった反対意見や、冷ややかな目、あるいは改憲が他方にも及ぶのではないか?などといった疑心暗鬼など、さまざまな意見が入り混じり、ひと筋縄でで事は進まないのが現状です。

そこで、私が注目したのが、1969年に池田SGI(創価学会インターナショナル)会長が提唱した、「立法、司法、行政の三権から教育権を独立させる 『四権分立』構想というものです。

※ご参考:新人間革命「智勇」の章・あらすじ

この構想も改憲を経て初めて実現するものです。(氏は事実上、改憲派ということになるのでしょうか。)
この「四権分立」における「教育権」の掲げるその「権利」を、「独立」たる具現化する方途の、実質的な手法とすれば「誰しもが支障なく全ての教育を受ける事ができる」という部分を担保しなければ、それは有名無実になるおそれすらあります。
したがって、「無償化」という政策は、この「教育権」に深く通じるものだと私は考えます。



■奨学金制度の落とし穴と、国民(納税者)の意識改革

さて、根深い反対意見について再度考察します。
「私立高校授業料無償化」のみならず、大学をも含めた「教育無償化」ともなると、反対意見が多いのも確かです。
学習意欲のない学生、存在価値を疑いたくなるような大学の存在などが原因と考えられます。
公金を投入するのですから、「税の使い道」に無駄があっては納税者の理解は得れません。

当たり前のことですが、大学は遊ぶところではありません。更に言えば、遊ばせてはいけません。、
大学自身の存在価値を問う自己改革とともに、質の向上、学府としての自負を自覚し、その上で学生を受け入れて頂きたいし、
そうでないと公金の投入に国民は納得しないと思うのです。

一方で「苦労して勉学に励む」という人もたくさんいます。
私ごとながら、私の頃には夜間大学(夜間課程)も多く存在しました。かくゆう私も、とある公立大学の夜間部出身です。
授業料は実に安かったですし、また授業そのものも中間部とそん色なく、全てが「大学」そのものでした。
働きながらですから一限目の授業はいつも間に合うか大変でしたが、なんとか卒業もできました。
このように、経済的に苦しければそういう選択肢があったわけです。
ですが、今は殆どが廃止になり、そういった層が逃げ込む場所もなくなりました。残念なことです。

このように、夜間の課程が激減した現在、昼間部で学ぶことしかできない今の時代は、定職を持ちながらしっかり学ぶ環境は現実的には不可能だと思います。 授業の合間や休日といった「隙間」を使ったアルバイトで、どれだけの自身の学費や、あるいは生活(単身の場合)を支えることができるの?おのずと限界があると思うのです。

そこで、奨学金制度を利用した生活(学費)支援を受けるという方法です。
日本の奨学金制度の多くは、現在のところ事実上の「借金」です。 この支払に苦しむ人たちが絶えません。
そもそも、奨学金を利用するほどの経済事情なのですから、余裕があるわけではないのです。いつかは返済しなければなりません。

かなりざっくりとした計算で、例えば年間100万円×4年=400万円です。勿論、これで済むわけではありません。
この400万円を越える「借金」を誰が今後、背負うのか? 返済は「本人」です。
これを彼ら彼女らが、就職したのち債務に追われるのです。
よくよく考えてみてください。もともと親の支援を受けることの困難な者が、長期返済だとしても年収僅かな中、その債務返済に追われるのです。就職していきなり借金の返済なのです。

中には夢破れ、中途で離職したリ、人生設計(即ち、返済の設計)が狂ってしまった人もいるでしょう。
このことに、いろんな意見があるとは思います。ツッコミどころも多々あるやもしれません。
しかし、人生にはいくつもの思わぬ落とし穴や失敗もあります。誰だってそれはご存知でしょう?
にもかかわらず、この若者たちを厳しい一言で突き放し、再起にすら負荷(債務)をかけ続けることが、「国の制度」としてあっていいのでしょうか?

なお、各国の統計はこのようになっています。
 ※参考資料
【表】 OECD加盟34ヵ国の大学授業料無償化、給付制奨学金の有無と受給学生割合

注目すべきは、奨学金の「給付型」について、制度の有無と利用率です。
日本が「豊かな国」であるはずが、これです。 残念です。





全ての希望者が、実力させえあれば最高学府に学ぶことが出きる…
そんな国であるよう、憲法に「定める」ことによる、永続的な政策
そして人的投資にはやはり大きな意味を持つと私は考えます。

課題を一つひとつクリアし、全体としてボトムズアップをはかりたいものです。
この国の未来は、ひとりひとりのお子たち、大人たちの意識改革から始まります。


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南部(みなべ)蔵之介

Author:南部(みなべ)蔵之介
昭和生まれ、父、夫、勤労者、
平凡な大阪人のオッサンです。


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