すぐ傍にあるしあわせ
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時事、雑感。
先ずは某女性タレントが「出家」という、その出家先の教団の話から---。
主宰は大○総裁。「教祖」という位置づけだが、
特異なのは氏自身が事実上の「神」、 拝まれる対象だという事。
つまり、「現神人(あらかみびと」だ(そうな)。

たしか大○氏は東大卒、某商社マンを経て教団設立。
十数年前の話だが、入会に対し「ハードル」を設けていたと記憶する。
大○氏の著作を読んでレポートを課すというもの。
つまり、入会試験。
「そんじゃそこらの宗教とは違うよ」
「うちはインテリなんだ」…といわんばかりの説明があったように記憶する。
十数年前の話。

今はどうなっているかは知らない。
ただ、誰も彼もが「本を買えるのだろうか」という素朴な着眼点が抜け落ちている。
本来、人類救済というなら「本を買う」、あるいは「字が読める」という、経済的あるいは身体機能的にも(入会)ハードルを課すこと自体、宗教の風上にも置けない「上から目線」だと感じたし、「門前払い」もありうる。
これが皆さまにはどう映るだろうか。

その大○氏、「東大」をご卒業なさった背景に、今の感覚ではある程度の「家庭の経済力」がないと成し得ない。
また、その高学歴を殊更に強調していたのも気になる。
東大出身者はいくらでもいるが、そういう話ではない。
スタート時点における「格差」、つまり「教祖と信徒」という関係にある壁だ。

歴史上、高僧と呼ばれる名僧も、今でいう東大や公家武家の出であったりする。
仏像が「金ピカ」な理由も、遠い存在や格差があることを前提とした価値観である。
が、それに対し日蓮大聖人は真逆。そのような出身ではない。
そして池田先生も。

池田先生の出自に関し、ネットで邪推な憶測は飛び交っている。
が、仮にそのような出自であっても、それならそれで尚更である。
「人類救済」という、古今東西の宗教の本来あるべき大きな目的からすれば、
「救ってやる」ではなく、同苦と慈悲に満ちた行動に、「立派な出身」は不要である。

池田先生は公式には「富士短期大学卒」とある。
多くの学会員さんはご存じだが、それは、もともと苦学して得た学び舎の「のちの学校名」である。
同校設立後、〝卒業生〟であった池田先生に「卒業学位」を授けた。
先生は喜んでんでお受けになり、以後堂々と「同校卒」としている。

世の「名士」からすれば、「物足りない」とする感も拒めない。 が、「それでいい」。
苦労し、社会の底辺から生まれた人でないと、「人類救済」という大きな目的の道程に、 指導者本人そのものが耐えてゆけない厳しさが伴う。

かつて先生は夜間大学のメンバー「飛翔会」に大きな期待をよせてくれた。
「私も苦学した。皆さんは社会の柱になって頂きたい」(趣意)。
今も当時を思い起こすと涙が出る。苦しい時こそ、同苦の指導者の思いが心肝に染まる。


『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ』
(日蓮大聖人御書全集・1,143ページ・四条金吾殿御返事)



その陣列は、次の、また次の世代へとつながる。
それが創価学会の強みである。
そこを外せば、創価学会に未来はない。----





なお、同御文には、こうもある。
『ただ女房と酒うちのみて…』

夫婦円満の秘訣は「思いやり」であろう。
苦楽を共にし、ともに歩んだ歴史。
「また頑張れる」----
その裏付けは、いつもその絆である。

世の男性諸兄、
感謝の言葉は必ず口に出すよう、お勧めする。

二本のレールが果たす役割に、妻と私の人生を重ねるーーー
二本のレールが果たす役割に、妻と私の人生を重ねる----




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※なお、文中に挙げた某教団の、現在の入会規定が設立当時と変化があったかは存じ上げない。
それにしては、とくに私から触れる予定もありませんが、記事主旨からは過去事例として取り上げた旨、続報の省略をご容赦願いたい。




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【2017/03/05 13:00】 | ◇論壇・主張
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