すぐ傍にあるしあわせ
石田三成公が大好きで、リンクもしています。

三成公といえば、
「大一大万大吉」の旗印ですね。

石田三成


この六文字が意味するのは
「一人が万人の為に、万人が一人の為に尽くせば天下の人々は幸せになれる」
といったものです。



その三成公----

好きだけど、その到底足元にも及ばない。
リスペクトしようとも、まるで似ても似つかない(笑)

時代劇でいろんな役者が演じ、いろんな印象操作もされてきたので、良くも悪くもイメージが伴う。
が、真実はどうか?
リンク先でのお話は、客観的な事を積み重ねつつ、筆者の結論を述べています。
個人的にはこの結論に賛同したい。
(先ずはこのリンクをお読みいただき、話を続けさせて頂きたい。)

折しも、大河ドラマで三成公も登場。
強大な徳川内府(家康)との暗闘が続いていますね。

秀吉の生前は殊勝にも、臣下の衣をまとい、虎視眈々と次を狙う内府。
時代の趨勢は、正史の運命にあるとおり。

失礼ながら、よくも悪くも徳川家康公の腹芸が一枚上であったということと、
のちに徳川側につく豊臣恩顧の武将も、生き残る上でメリットもあったと回顧する。
正論を説く、真っ直ぐな三成公よりも、自分が可愛いのは世の常、悪くはない。
が、それは現代の価値観。
義に生きることに生きる価値を見出す時代に、徳川に付くことに義はない(と思う)。

三成公は腹芸のできぬ男だと思う。
そんな三成公が大好きだが、僕にとっては、一部は反面教師でもあります。
少しは腹芸を身に着けてゆこうと思う(笑)


「人生の師」を持つ身として言うなら、
三成公の生きざまこそ、 
我が師もまた、そのまた師に付き切った姿と被る。
だが不肖この僕自体、末弟子として師に遠く遠く及ばない。なんともまぁ情けないばかり。

さて、
20万石の一家臣でありながら、250万石の巨大な大名・徳川に戦いを挑んだ果敢な男・石田三成公。

一方、名もなき一青年であった若き頃の我が師。
師がどのように戦いきってこられたかは、ここで語るべくもありません。
両者のその後の歩みは、その後大きく違いましたが、
三成公の戦いをみるとき私は、
我が師の姿もまたその遠くない位置にかぶって見えるのです。


のちの世につくられた三成公のイメージは徳川史観。
その史観のように、もし三成公に人徳がなければ
あれほどの大きな戦いすらできなかったでしょう。

ただの一人の脱走する兵もなく果敢に戦い全員散った石田軍。
将として一流であった証しです。

猛将、島左近とのエピソードしかり、
三成の傍にいた人たちは、側近から兵に至るまで、誰一人裏切っていないのです。


関ケ原が決着後、徳川軍が質素な佐和山城を見た時、三成公の真実を知りました。
私腹とは無縁の男でした。



徳川光圀公、西郷隆盛公、
多くの巨星がのちに、三成公こそ真の義の人とたたえたそうです。


誤解も多い人ですが、
静かに私はこれからも三成公を語ってゆこうと思います。

義とは、かくありたい----と。



現代人の私に、極限の状況下があったとして、できることは数少ないとは思います。
ですが、目の前の仕事や、
まもるべきものの前において、
愚直にやりきることの大切さをせめて胸に、がんばってゆきたいと思います。




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【2016/08/19 07:00】 | ◇人生観・福祉共生
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