すぐ傍にあるしあわせ
さてさて、酒もタバコも賭け事もしないわ、それでいて(ほぼ)無趣味のツマラナイ中年オヤジが、
大好きなコーヒーすすりながら気まぐれに書いております(^○^)

毎日暑いです。
年々体力が衰える私は、運動などで「鍛える」というより、
もっぱら、「いたわる」ほうにシフトしております(;´∀`)

そんな暑いある日。
仕事でスタッフと合流の場所の傍に、たまたま集合住宅と公園がありました。
ひとり泣いている男の子、幼稚園児かな。
先に到着のメンバーがなんだかんだと遠巻きに見ているようです。
その“おっさん”(同僚の先輩スタッフ) たちは何もしません。
「兄弟とか、友達がいるだろうし…」と。

私は「ん?」と思いつつ、その雑談の場からひょこり離れた。「トイレ行ってきます。」
と、言い残し、そのお子のもとへ。
“おっさん”たちの死角になって、お子に語りかけた。

私  「どうしたの?」 
お子  「○×△□・・・」 (とくに緊急性はないようだ)
私  「そっかぁ。」 「で、十分泣いたか?」 「このあとどうするー?」
お子  「○×△□・・・」
私  「じゃ、泣き止もうか」


ニコリとし、その場をあとにしました。

トイレを済ませ、“おっさん”たちのもとへ。

おっさん  「なんだ、声をかけたのか?」「そんなことしなくていいんだ。親とかいるだろ。」
おっさん  「そうやって甘やかしているから、弱い子ばかりになるんだ」
私  「いえ、今のお子たちは昔とは接し方を変えなきゃ…」
おっさん  「あのなぁ、男親なんか何の役にも立たないんだ。」 (瞬時に顔色が変わってたなぁ…苦笑)
おっさん  「この前の事件も…○×□△☆○×…」   (はぁ?何言ってんだ?このおっさん・笑)


私、“苦笑い”だけ。
私はそこで討論する気はサラサラないので、すこすこと別のことをするフリで、少し離れました。
これでいい(笑)

私は他所の子であれ、子どもたちとの接し方を変えるつもりはありません。
この時だけの話じゃありません。

『いつもオトナたちは君たちの傍にいる』

こう、近隣や周囲のオトナが存在し続ける“距離感”が、昨今の足りないことだと思っています。
それは「干渉」することとは異なります。
「見ているよ」、その視線が大事なんだと思うのです。
「お~ヨチヨチ」、…そんな構ってあげるみたいなものとも違います。

子どもは見ていてほしいのです。 
トコトンの解決を欲してばかりじゃありません。
オトナの役割は、「そっかぁ」 …その一言だけでいいんです。
そうすると、結構自分で立ち上がれるんです。

無関心が生む、社会の殺伐とした空気が、子どもたちをも蝕んでゆきます。
信じられないような事件の根も、元をかえせばオトナ、周囲のせいなのかもしれません。



私は、器用ではありませんし、どちらかといえば物静かです。
でも、
声をかけるための「壁」は、瞬時に取り払います。

私のこのやり方を、討論のネタにする気はありません。
でも、これを変えるつもりもありません。

「まず、お子たちに耳をすませる」
一期一会のお子であっても、
お子たちにとって、間違いなくそれは「オトナ」です。
「オトナ」の世界からの“親善大使”として、
お子たち側の壁を取っ払ってもらう行動をします。

未来へ---。 
すべてがオトナ側の心得で決まると私は思うのです。

オトナは高いところから降りて来い!
---そう思うわけです。



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【2014/08/11 00:11】 | ◇日々徒然
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