すぐ傍にあるしあわせ
(※限定開示期間終了後、 通常開示記事として再編集しました)


皆さま、お疲れさまです。
師走の慌ただしさが身に沁みますね(;^ω^)

さて、ふとしたことから、ある書評に出会いました。
それで私も、大昔に読んだその本を再度読むことにしました。
通勤電車の中、さほどその時間はかかりません。
読んであらためて思ったことは、後述に沿えます。

それで今回、作家・宮本輝氏の出世作 「泥の河」と、氏 について綴ってまいります。

宮本作品の原点ともいえるこの作品。

戦後まもない大阪。
それも安治川(あじがわ)という淀川の支流で、市街地を少し離れた地域を舞台に、
そこに住む人たちの人間模様が描かれています。

正直申し上げて、若い人が読んでもピンとこない内容かもしれません。
しかし、私もそうですが年齢を重ね、再び今こそ読み直すことに意味を見いだせます。
ぜひ皆さんも「読み直して」ください。

物語はある二人の少年の出会い、交流、そして無邪気な姿を通じて、
そこにある戦後の現実を描いています。
目の前にある「当たり前」に圧倒されます。

ある「あらすじ」紹介にはこうあります。
...............................................................................................................
その川には、泥のなかから沙蚕を採る老人がいたかと思えば、いろんな物が流れて来る。
台風の後は、窓枠といっしょに額縁つきの油絵や木製の置物なども流れて来る…
それを子供達は拾うのが楽しみだった。
時にはへその緒のついたままの赤ん坊の死体が流れて来たり、そこには生と死がごちゃまぜになって、戦後の川縁の情景がそのまま読者に迫ってきます。
その中で川縁に大らかで仲の良い両親が経営する食堂の子、小学2年生の信夫は、新しくその川に越して来た郭舟に母と姉と暮らす喜一と、とっても仲良しになります。
この無邪気なふたりの少年、今の時代にない、見たもの聞いたものをそのまま何の余念もなく受け入れる全く清廉で純粋な可愛い少年たち。
決定的に異なるのは、喜一のお母さんが娼婦であるという事…。

..............................................................................................................

ほんの少し前、たった70年ほどの、この日本にあった「現実」です。

若い人は、
お婆ちゃんに聞いてごらんなさい。
お爺ちゃんに聞いてごらんなさい。

しかも小説の舞台は大阪です。
大阪の誰もが知っている場所です。

それが彼らの「日常」なのです。
と同時に、ふたりの置かれた家庭の違い…。

作品の中に、宮本作品のテーマである、宿命的な「この世の不公平」 がずっと流れています。

何故、宮本さんは「そこ」から始めたのか?
宮本さんを知ることは、そこを外してはいけません

清濁が混在
しかし真正面からそこに向き合うのが関西人です。
そして、けっしてスマートではなく、むしろ「泥臭い」と評される関西人らしく、
宮本さんの原点たる視点です。

それは、
泥の中から華を咲かす「蓮」の如く、
そして光をあてることです。

それが宮本文学です。

のちのさまざまな作品の根底に流れるものも、
けっして表層的なロマンや美しさを描いただけのものではないことが、
この「泥の河」を本当に理解したところから読み取れると思います。



なお、「泥の河」は太宰治賞の受賞作品です。
次作「蛍川」で芥川賞を受賞する前です。

はじめ、宮本氏が「人生の師」と仰ぐ方のひと言に 
『妙法の作家、出でよ』。

これを知った氏は、
『よし、小説家になろう』と決意します。

ですが、『はて、小説ってどう書くのだろう』…    ( ゚Д゚)えっ?

当初、かなり唐突で、かつ無謀な決意だったようです。 (;^ω^)
ですが、古今東西の作品を読み漁るとことから始めます。
しかし、それを知ったとして、カンタンに書けるようなものではありません。
会社を辞め、小説家を目指しましたが、だんだんと生活は苦しくなります。
と同時に、女房殿のお腹は大きくなり…(笑)
やむなく、地域の先輩の会社に雇ってもらいます。 お情けで。 (氏の懐述より・笑)
必死になって師との「誓い」に応えようと苦闘末、登竜門の太宰治賞を受賞します。

やれやれ、と思いきや、「次」です。
「次」とは、芥川賞です。
宮本氏は決意をあらたにします。
『多くの作家がここで終わるんだ。 次を取らねば消えてゆく。』

宮本氏は「人生の師匠」と仰ぐ方へ、一筆の手紙を書きます。
いろいろと決意とご報告を記したあと、
「最後の一行」がなかなか書けません。(以下、氏の懐述より)
しかし、『思い切って書きました』。

『必ず芥川賞を取り、ご報告致します。』

そう書いたあと、
『これで受賞は決まった』と思ったそうです。  

因果具時です。
言葉で書けば簡単かもしれませんが、ここに猛烈な決意を読み取ることができます。
そして、その決意どおり宮本輝氏は、次作「蛍川」で芥川賞を受賞します。
何もないところから見事に「誓い」を果たしたわけです。

さて、その後のエピソードですが、
翌年だったと思いますが、あるとき体調を崩します。
医師から 『宮本っさん、たいへんや~。 肺が真っ白やで~。』
即、入院です。
『この世の終わりや~』とばかりに、虚無な時間を過ごしたそうです(笑)

ある時、 その「人生の師匠」から一通のハガキが届きます。
『この休息が、あなたの偉大な未来の貴重な原点となりますように』 
 (※申し訳ありませんが、こういう内容だったと記憶しております。イクゾー・拝)
宮本氏はハッとし、再び奮起します。

初志を思い出します。
「妙法の作家、出でよ」、それに応えようとした発心を、いよいよ不動のものとするため、
ますます精進しなければいけない…
そんな思いを新たに、宮本氏の頭によぎったのは「ノーベル文学賞…」だったそうです。
とてつもない夢を持ちつつ、氏が果たそうとする「誓い」。
勿論、それは「カタチ」だけじゃないと思います。
受賞の有無ではなく、その原点の志を、今なお追い求める氏の作品が陸続と今も発表されてゆきます。

泥の中から華を咲かす「蓮」の如く、
そしてそこへ光をあてる…。


宮本文学を知るために、この「泥の河」は外せません。


 (※追記) 

思えば、文中にもありますとおり、小説とはいえ、戦後の庶民が生き抜く現実を紹介したものと言えますね。
戦争は終わった… 平和な時代が来た… ヨカッタヨカッタ… でも…
「生きてゆくこと」に必死な時代に、「取り残されそう」になった人は山ほどいるわけです。

戦争孤児、戦争未亡人、戦争障がい者…、 どうやって食っていくのでしょうか?

例えば細かいことを言えば、兵隊に行って障がい者になった場合、国からサポートが出ます。
でも、空襲で障がい者になった場合、出ません。
ご存じですか?
こういうところもそうなんです。

戦災に限らず、震災だってそうでしょう。
私どもは阪神淡路大震災を経験しました。
街は復興し、綺麗になり、 「でも」…です。

外国だってそう。
いろんな「矛盾」「現実」を抱えています。
我々が抱くイメージとはかけ離れた現実があり、光の届かないところがあるわけです。

のちに宮本輝氏は、シルクロードをテーマに作品を綴ります。
そこには我々が知らない現実世界があり、落差に驚愕します。

流れる「宮本輝」、同じですね。

この日本でさえ、たった70年前にこういう世界があり、
今もって報じられていない現実も、いくらでもあるわけです。

復興に取り残された市民しかり、
DVで悲しむ女性、
児童虐待、
非正規雇用、
未指定の難病、

「この世の不公平」が沢山あって、
本来なら政治が解決してゆかねばならない事なのですが、
現実には、「手が届かない」。

小説の中にあるように、女性が生きてゆく厳しさ、
その選択肢で「娼婦」をお選びになった方がどれだけいたことか…

宮本文学は、仏法の視点で、この宿命的な「この世の不公平」を訴えてるようです。
これは後続する作品にも流れている部分です。

『妙法の作家、出でよ』

何故、「人生の師匠」はそうおっしゃったのか?
何のために、そう願ったのか?


「弟子」はそれに気付いているのです。
ただ有名作家になれ…ではないのです。

宮本輝という作家が「師」とつながっているからこそ、
作品に常に流れる血を、「同じ弟子」がしっかり感じて(気づいて)ゆければ…と思うのです。


安治川口駅より、USJ列車を見る。
ちなみに、その「安治川」ゆかりのJR安治川口駅から、その先のUSJから戻る電車の写真。
今は“夢の国への案内口”です。


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【2014/11/29 13:00】 | ◇社会考察・福祉共生
|
もう25年前になりましょうか、
高校時代から一緒に夢を追った古い友人の話から始めます。
新大阪の新幹線ホームで、東京へと夢を追う彼に、私はこう告げました。


『いつでも帰ってこい。
アカンかったら帰ってきてええんや。
やり直しのできる街、それが関西や。』


その数週間前、
山のロッジで一晩呑み明かしました。
照れますが、出会いのバカ話、学校でのおバカな懐かしい話、
昔、今、そしてこれからのこと。
気がつけば薄っすらと夜が明けてきました。

『頑張れ』
『おう、お前も』



もう古い話で、細かいことは忘れかけていました。
でも、関西がそんな街だってこと、
そして自分がそう口走っていたこと、

それである人のことを思い出しました。

やしきたかじんさん。

親しみを込めて、たかじんさんと呼ばせていただきます。

ご存じのとおり、個性ある天才歌手、司会者、
なにわの視聴率男と異名を持つ芸能人さんです。
たかじんさんは、残念ながら今年お亡くなりになりました。享年64歳。
ほんとうの意味で、破天荒な人だったと誰もが認める人でしょう。

もう、むちゃくちゃな生き方の人でした。
大酒呑みで、理不尽で、暴力的で、どうしようもない一面を持っています。
数々の伝説を生み出しています。
私は正直なところ、そういう生き方は好みではありません。

でも、大ファンです。
実は照れ屋で、寂しがり屋で、面倒見のいい、情に厚い人でした。
もう観れないと思うと、心から悲しいです。

たかじんさんは、何かで失敗した人をほんとうに励まし、復活のチャンスを与えた人でした。
そのたかじんさんは、関西・大阪をこよなく愛し、
そしてこの大阪でそういった人を迎え入れました。

『帰ってこい。ほんで俺の番組から踏み台にして立ち上がれ』
そんな世間でいう、厄介者ともいわれる人に手を差し伸べてきました。
芸能界での話にすぎませんが、
そうした たかじんさんのような心が、広く染みついているのが、この街・大阪だと思います。

「もう一度、やり直そうって…」
彼の名曲の、歌い始めにあります。

メチャクチャで、ゴチャゴチャで、だけど気さくで、優しく、お節介で、
そんな街だからこそ、「なんぼでもやり直せばええんや」
そう迎え入れてくれるのです。

ただし、「おんぶ」までしてくれるわけではありません。
それに、
何処だって同じなのかもしれません。
ただ…、 関西、とくに大阪では、見栄を張ったり、無理してエエカッコせんでもええんです。
ありのままで、“アカンたれ”のままで、すぅっと受け入れてくれるんです。

その関西には、
“たかじんさん”が、ようけいてはるんです。
(たくさんいらっしゃるのです)

さて、そんな中、
自分にとっての“たかじんさん”を思い出すと、
生涯ふたりの“たかじんさん”を挙げることができます。
単にお世話になったというだけではありません。
あくまで“たかじんさん”です。



ひとりは、親父。
私にもし懐の深さがあるとしたら、親父の真似事に過ぎません。
ずっと敵いませんでした。

強さも、弱さも知っています。
親父も実は暴れん坊で、破天荒でした。
その一方、人への面倒見がよく、
とくに「たかじんさん」同様、敗者や問題を起こした人らへの思いが深く、よく手を差しのべていたのを記憶しています。
ただ、一方の破天荒な一面へ、若い頃の私はそれが許せず、反発ばかりでした。
でも、私が歳くってやっとわかったことも大いにありました。

私がどうしても芽が出なくて落ち込んでいた頃、親父はポツリ。
『桃栗三年、柿八年や』… 
そして、そっと小さくたたんだ一万円札をくれました。
お金の問題ではないのは言うまでもありませんが、ぐっときました。

柿八年…
この数字、実をつけるまで成長に要する時間のことです。
適当な数字ではなく、
不思議なことに、この数字が私にとって大きな節目だったと、
あとから気付きます。
『ほんとうなんだ…』

以来、私は柿が大好きになりました。(笑)



もう一人は、先ごろ退職なさった職場の方です。
たいへん厳しい方で、たくさんの薫陶を受けました。

負け犬の私、流れる着いたのが今の職場です。
氏も若き頃、同じだったそうです。

『お前はな、溺れてここへ来たんや。
ここで泳ぎきるために、人の倍やらなあかん。
ワシにはわかる。お前と同じやった。
お前はまだまだや。必死になってやれ。』

本当だと思ったからこそ、今があります。
たかが小さな世界ですが、ここが私のリングです。

送別会で向い合せです。
このもうすっかりオッサンの私、
“最後”のお説教をもらいました。

『お前は、いちばん出来の悪い教え子や。
だから、俺の遺言やと思って聞いておけ。』

厳しかった…
マジに厳しい人でした。
どちらかと言えば、厳しさに「なにくそ」と奮起するタイプではない私でして、
「励まし」で頑張れるタイプの私ですが…(笑)

いまだに叱られている(苦笑)
この方には頭があがりません。

でも、この宴席の二人、 (私、そして氏)
とも目が笑っていました。(^◇^)

こういう師弟もあるのです。
氏のおかげで今の私があります。



二次会に流れ、気がつけばそこは「北新地」。
(勿論、連れていただきました・笑)
あの、たかじんさんがこよなく愛した街です。

唄うのは十八番ひとつだけ。
(そんなものは、ほんとはありません・笑)

『ママさん、たかじんさんのアレ。』
『あれな(笑)』


♪ もう一度、やり直そうて・・・

やっぱ好きやねん / やしきたかじん
やしきたかじんさんのご冥福をお祈りいたします。




さて、 “還ってきた男”がまたひとり。
そうか、そうか…と目を潤ませたり…

さあ、
ドラやん、おかえり (^○^)ノ


....................................................................

【追記】

「人」にはあらゆる可能性があります。
復活の芽を信じ、背中を押してあげ続ける-----

叩くよりも困難な道を
私は忘れないでいたい。


人の痛みを知る人間だけができること…
そこが「たかじん」さんの出発点ではないでしょうか。


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(※再編集で、追記をかなり削除しました。)

【2014/11/09 07:07】 | ◇日々徒然
|

No title
potato
イクゾーさん
こんにちは、
やしきたかじんさん。関西方面の方には絶大な人気ですね。
(初めて名前を見たときはどこまでが苗字???と思いました)

私はテレビ番組の舌鋒鋭い司会者というイメージです。
歌声はとっても繊細ですね。
人情味の厚いその地でイクゾーさんのあたたかい人柄が生み出されたんですね。
『いつでも帰れる、やり直せる故郷がある』。
いい言葉ですね~

私も若いころには、ほかの地域への『あこがれ』がありました。
でも家族を持ちこの大地で自分の足跡をつけながら生きていくことに、
誇りを持てるようになりました。

私も自分の地域を愛する気持ちは負けませんよ。(^_-)-☆

ところで、
『ケンミンショー』という番組大好きです。
故郷自慢、いいですね~♪
いつも家族と大笑いしながら見てます。
「ちょっと大阪でっすぎやろ~(`´)」と思いますが
    ↑
(これであってますか?笑い)


娘が学校の旅行で大阪に行き、
お土産売り場の押しの強~いオニーサンに
びっくり(*_*; していましたが、これも大阪人のご愛嬌ですね♪♪


追伸
このエッセイには、続きがありそうですね。
≪大阪すっきやねん≫だけではなく。

『ドラやん おかえり』
友情の物語なのでしょうか?
再度読み直してなんだか想像力が膨らみます。

物語は語り手の感性を受け止めるだけの読み手の感性または、品性も必要ですね。
読解力ともいいますか。

やっぱりイクゾーさんのエッセイには人を励ます心を感じます。
次回の記事も楽しみにしています




No title
しぃ
昔、バンドのドラマーが「あの店たかじんさんいはるで」とお店を紹介された事があります。
関東の方にはキツイイメージがありそうですね。
関西では口は悪いが情のあるあったかいオッちゃんです。

あと、卑怯な真似もしないし、言い訳もしない。文句は言うが人の話もよく聞く。あーしろ、こーしろと威圧的な高慢なセリフは吐かない。
こんなオッちゃんでした。
たかじんさんのお知り合いの方々はもっともっと、オッちゃんのあったかい事を知っているんでしょうね。何だか羨ましいな。

そう言うオッさんになりたいっていうと、あかんけど。女やしね。


No title
チャトラ
イクゾーさん、こんにちは。

申し訳ありません。実は、やしきたかじんさんは、「そこまで言って委員会」で批判している云々…という事を聞いた事があって、正直、良い印象を持っていませんでした。

でも、そのようなお人柄だったのですね。
やはり又聞きだけでの偏った見方はいけませんね。
反省です。

お父様と先輩とのお話も、感動しました。
やはり良いご縁、良き師匠、良き友に出会えることが、本当に大切ですね。
それを受け止められるお心があったからこそ、今のイクゾーさんがあるのですね。

そうそう、それから、大阪、良いですね。
典型的(?)東北人の私からすると、大阪、関西の方が羨ましい。
朝ドラ「マッサン」(マッサンは広島の方ですが)も、毎朝楽しんでます。
最初、テンポの速さに戸惑いましたが(^_^;)
人情味あふれる人、街、憧れてしまいます。

お邪魔します。
たけちゃん
「たかじん」さんについての書き込みに
ひかれて、やって来ました。

実は…以前から「たかじん」さんは
知っていましたが「東京」を聞いてから
イメージと違う歌詞と歌声の繊細な部分に
近年になってから惚れ込みました。

誹謗中傷もあると思いますが
メゲずに信念を貫いて下さい。
応援しながらアップを楽しみに
しています。

今日も、お疲れ様でした。

Re: No title
イクゾー
potatoさま、いつもありがとうございます。

ケンミンショーに代表されるような郷土愛はどなたにもお持ちですよね。
地域の良さを競えあえるようになりたいですね。

私も大阪らしさをネガティブなイメージではなく、らしさでもって人を魅了できるようになりたいです。


Re: No title
イクゾー
しぃさま、こんばんわ。
えっ! バンドやってらした…とか?
(またそのあたり聞かせてくださいね。)

たかじんさん、シャイでした。
どれだけ人に尽くしても、俺が俺が…がなかったので、カッコよかったですね。



Re: No title
イクゾー
チャトラさま、いつもありがとうございます。

おっしゃるとおりで、実は
とある部分でも「辛口」でした。

それはご本人のせいではなく、
伝えきれていない「我々」のせいです。

「本来の彼」が持つ良さを、まさに中心にすえて
永遠の人になったのだと思います。


Re: お邪魔します。
イクゾー
たけちゃん さま、はじめまして。
お励まし、ありがとうございます。

破天荒なエピソードだけでなく、
繊細で心を尽くす人柄が、亡くなってからどんどん明らかになっています。
たぶん、生きているうちは、
本人がいちばん否定していたでしょうね(笑)


非公開でメッセージをくれた、すべての方々へ
イクゾー
たくさんの非公開メッセージを頂戴いたしました。

本当にありがとうございました。
キチンと返事できないのが心苦しいですが、
こうして私が支えられていることを、深く心に刻んでまいりたいと思います。



No title
しぃ
加筆された記事文も読みました。

人の痛みを知るというのは難しい事ですね。
同情と共感を同じにしている人も多いでしょう。
同情が悪いとは思えませんが、口数の多い人ほどこちらの傾向があるかと思います。

イクゾーさんの伝えたい事は、その器の人達には素直にたおやかに受け止められていますよ。そうでない場合は、その器を未だ持たない人でしょう。
仕方ありません。きっとそんな方々は何を言っても理解が出来ないのですから。また、理解が出来ない自分に悔しがるなんて事はしませんので、いつまでも同じ所で足踏みをされていることすら気がつかないのです。

無理をせずにマイペースで歩みを前に進めましょう。
つまらない雑音よりも、いい音といい景色を見て。
イクゾーさんなら、よい方向に歩んでおられると思います。
ご家族の愛情が溢れている記事に、イクゾーさんのお人柄も伺えます。
家族の地盤があっての私ですが、守るべき者がいるというのは、しんどい様で幸せですよね。




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