すぐ傍にあるしあわせ
日常の一コマひとコマの瞬間で「試されて」いることがあります。

優しさだとか、思いやりだとか、そういう事を説く人は沢山います。
でも“その瞬間”、実際に行動に移せるでしょうか?…
それがまさに問われた瞬間に遭遇しました。

........................................

私は日々電車通勤しております。
JRと私鉄を乗り継ぎ、単調ではありますが、中にはいろんな人間模様に出会います。
それはおそらく皆さんも同じだと思います。
いろんなトラブルやお困りのこと、手助けすべきこと、あると思います。

私はここ一年を振り返っても、同じターミナル駅で
何人もの目の不自由な方が、ホームで電車待っていたり、
あるいは私鉄側へ乗換えのために、杖を左右にコツコツしながら歩いてらっしゃる姿に出あいます。

たしかに、その方たちの多くは、日常の行動(通勤)として、「慣れた」ことなのかもしれません。
ゆえにそれが「困ってらっしゃる」とは判断なされない方が多いのかもしれません。
でも、私の感覚では最低限のできる範囲で、健常者として手助けするのが当然だと思っております。
勿論、通勤ですから急いでいる場合も殆どだとは思いますが、
皆が皆、まったく余裕のないわけではないでしょうし、とくに帰宅時であれば、少しぐらいはそうした余裕もあるはずです。

にも関わらず、殆ど誰も手を貸そうとしません。
「困っていない」との判断か、それとも「癖になるだろうから」でしょうか?
あるいは、「強く生きてゆかなければ、結局困るのは彼ら」でしょうか?
これは穿った見方なのかもしれません。

でも、そんなご大層な「逆配慮」など必要あるはずもなく、
体の不自由な方に対してのちょっとしたアシストなどは、市民共生社会では「当然」の姿ではないでしょうか?

実際、ホームで待つ目の不自由な方は、私が「乗車のエスコートします」と申しますと、喜んでくださります。
私が次の言葉を発す必要もなく、そっとご自分から私の肩に手をのせようとなさいます。
私は電車に乗るその時、「段差、ありますよ」。 
あとは「ありがとうございました」とおっしゃり、私は「は~い」。 とくに過剰なコミュニケーションもしません。
基本、照れ性ですから(笑)

たったこれだけのこと。 ですが、まったく私以外に見かけません。 
たまたまそういう事例に出会ったことがなかっただけなのかもしれませんが、あまりに「ない」。
その反面、私がそういう事をする機会が多い。これはいったい…。

次に、こんどは何ともいえない感情が、あとから湧いて出てきたある出来事がありました。
こんどは朝の出勤時間帯。
私鉄と連絡するJRのホーム。多くの人がホームにいます。
3~4分刻みにホームへ電車がくる時間帯、それなりに多くの人たちがいます。
私はホームのベンチに座っていました。
立って待っている人。あるいは人の流れ。

そんな私の視界のなかに、肘にサポートガードのある杖で体を支えて歩く紳士が転びました。
身なりはきちんと通勤スタイルの方のようでした。

遠巻きの視界でしたので、私は「おっ!」と思ったものの、
すぐに立ち上がるか、それとももっと近くの誰かが(いくらでもいる)、サポートなり、
何かReアクションをなさるものだと、瞬間に思いました。

全体に数秒の出来事なのですが、
ホームの地べたに、体を大きく転がしたまま、必死で自ら体を起こそうとしている紳士。
いくらやっても自分で起きることができません。
そして、周囲の誰も手助けをしないのです。

遠巻きに見ているとはいえ、私は「これはいかん」と駆け寄りました。
すぐにその彼は「肩を貸してください」と言い、私は彼の体を起こすのを手伝いました。
普段、バランスを保って歩いてらっしゃるのでしょう。
それが崩れ、転んだ際、ご自分では起こしきれないのだと思います。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
彼は申し訳なさそうに礼を告げ、またゆっくりとホームを歩いて行きました。

何故、これほどまでに多くの人であふれかえっているのにも関わらず、こうした現状だったのか?
出勤途中が殆どでしょうし、皆急いでいるのは理解できます。私もそうですから。
「会社を遅れて犠牲になれ!」とまでは申しません。
でも、いろんな都合のなかから、少しぐらいは誰かが何かできなかったのでしょうか?


日頃、善意を説く人は多いと思います。
ねぇ、とくに 創○学会員さん(笑)

何を躊躇しているのでしょうか?




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やはり、普段からの意識でしょうか、
私自身が強い難聴で、不自由な思いをすることもありますから、
誰かのハンディキャップに対して敏感なのかもしれません。
こんなおっさんが頑張っているんだし(笑)、 もっと“あなた”の周囲に向けて「意識」を持ってほしいね~、です。

自分の事、家族の事、大事な人の事、
あなたを変えるのは、誰の「ピンチ」?





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【2014/08/31 00:01】 | ◇人生観・福祉共生
|

色々ですね。
ぼすざる
障害者に手助けしないと、冷たいと一概に言えません。脚が不自由な人を駅でエスコート中、拒絶された経験があるから。高齢者でも、席を譲ろうとして断られたりね。若い人に同情されたくない、人生の達成感や、自尊心を持つ方もいます。介護資格取り、同様の話が職員からありました。介助に頑固で説得が難しい、ケースも聞きます。公共で他者への配慮は大事だと思いますよ~。自分は拒絶された、ショックで二度と関わらないけど~主様と意見が違う為、消去されるでしょうが、人それぞれの経験と思います。具合悪い人に手出しせず駅員に知らせた経験は、あります。医師免許なく責任取れないのでね~助けを求められたらできる範囲の協力します。

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感動屋で涙もろくすぐに感化されやすい私は、映画やドラマも大好きです。
今年の春は面白いドラマが目白押しでしたが、
昨年、企業戦士もので大ヒットした「半沢直樹」。 そういったものに、
更に「野球」をプラスした異色のドラマ、「ルーズベルトゲーム」がありましたね。すごくよかったです。
番組の詳細については私がここでご説明するまでもないと思いますが、
そこの「青島製作所・野球部」は、廃部の危機という背水の陣で挑み、
その姿を、社長をはじめ青島製作所の面々が自らの姿と重ねあわせ、困難を切り開いてゆくドラマでした。

最悪の状況に、わずかな望みを信じ、葛藤を乗り越え、
更には崩れそうな危機にも、やるべきことをやり抜くことによってチームがふたたび一丸となってゆく…
「よし、次は俺の番だ」
周囲をも自らを鼓舞し、戦いに挑む姿は、人間が人間ゆえの誇りにも通じる「生き抜くチカラ」を感じました。
薄っぺらい感想でお恥かしいのですが。

さて、その「青島製作所・野球部」を彷彿とさせているのが、今シーズンのプロ野球「オリックス・バファローズ」。
同チームは大阪に本拠地を置くチームで、そのルーツは
阪急ブレーブス(のちのオリックス・ブルーウェーブ)と近鉄バファローズです。
両チームはプロ野球界を揺るがした争議をきかっけに合併することになります。 (存続会社はオリックス)
(この頃、同時に新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルスも誕生しています。)

歴史ある両チームが合併することにより、選手はもとよりファンも多くの乗り越えなければいけないことがありました。
「一丸」とは名ばかりで、どことなくバラバラで、ぎこちなく、チームは低迷します。
1+1が2になるとは限らない証明となってしまいました。
著名な監督を招いても状況は好転せず、いわゆる「負け癖」が染みついている状況。
もはやつける薬もない有り様です。

元々、オリックス球団は、阪神淡路大震災に「がんばろう神戸」を合言葉に、
イチローや田口といった、のちの大リーガーが若い頃に属し、一丸となって優勝した球団です。
(近鉄バファローズも負けず劣らず、数々の名勝負を繰り広げた偉大なチームでした。私はこちらのファンでした・笑)
そのオリックスを率いる企業の総帥が宮内氏なのですが、
オリックスが優勝した時の監督が、近鉄でも指揮をとり、今なお皆から慕われ続けている故・仰木さん。

優勝祝賀会の時のエピソードですが、
それまではビールかけが定番だったのですが、私の記憶によるとたしか珍しくシャンパンで乾杯したようです。
そのカーレースのシャンパンファイトさながらのかけ合い。(もったいないですね・笑)
選手たちの歓喜の姿を、一歩離れ傍の階段から眺める二人。宮内さんと仰木さんです。
お二人は静かにグラスを傾けながら話を交わします。
 仰木「みんなの傍にゆかないのですか?」
 宮内「いえ、僕はこうして離れてみんなの姿を見て、しみじみと嬉しさをかみしめているんです。」
宮内さんは子供のころから野球が大好きな人で、いつかはプロ野球のオーナーになることを夢見ていたそうです。
このときの宮内さんの心境は、ついにここまで来れたかという思いに、静かに浸りたかったのかもしれません。

その宮内さんも今やご高齢で、オリックスという親企業集団も、新社長を迎え、新たな出発をされました。
実はこの新社長は、球団に対し厳しい発言を繰り返してきた方。
この方が企業トップになられることは、おのずとチームにも何らかの影響を及ぼすのではないか?と
経済紙は伝えていたようです。
当面、球団社長には宮内さんが留任されるようですが、やはり何らかの結果をださなければ、
このご時世、球団の淘汰、身売りといったふるいにかけられることは必定ではないでしょうか。

ここ数年、オリックス・バファローズはチームの低迷もからも、観客動員の低迷に苦しんできました。
本拠地は京セラドーム(大阪ドーム)という立地にも恵まれながらも、酷いものでした。
ただ、オリックス球団も黙って指をくわえているのではなく、
ありとあらゆる工夫と営業サイドの懸命な努力で、
なんとか観客サービスに務めていることは、私たちもひしひしと感じます。
こんなに必死になっているんだし、もっとお客さんが来てくれることを私たちも願うばかりです。

ただ、いかんせんチームの成績が振るいません。それがここ数年の有り様でしたが、
とうとう、先にも申しましたとおり、経営トップの厳しい目が向けられようといています。
このままでは、まさに「青島製作所」のように“廃部”の危機なのです。

ドラマを視ていらっしゃった方はご存じのとおり、そんな青島製作所・野球部であっても、
同社の会長(創業者)も、社長もチームを心から愛しています。それでも廃部の危機でした。
オリックスも、宮内さんの個人的な思いと、経営サイドの現実的なジャッジは別の判断になります。
この崖っぷちの状況は、今のオリックス・バファローズそのものなのです。

今シーズンのチームスローガンは、「さらにひとつになろう」。
これまでも、合併球団ゆえの「ひとつになる」「一丸」といったフレーズは並んでいましたが、
今年はまさに「さらに」というところに、チームの置かれた事情と、それに対する絶対的な決意を感じざるを得ません。

当初、代役のように就任した森脇監督。
けっして華やかな選手時代を過ごしてきた方ではありませんが、
その手腕は今、大きく輝こうとしています。
「さらにひとつになろう」
その言葉を一つ一つ、皆で共有するために、森脇監督のイズムは浸透しています。

弱いチーム、力のない打者。
ヒット一本打っても、ヒットはヒットでしかありません。
でも、貪欲に走塁チャンスを生かせば、ヒットがさらに何倍も意味を生みます。
監督はそう徹底して、選手にチームへの貢献を訴えます。
そのイズムがまさに、ここまで浸透しているかという場面に出くわしました。

2,014年8月22日、オリックス対楽天、京セラドーム。 (試合は7-2でオリックス勝利)
あくる8/23付の「読売新聞」紙面にはこうありました。

.......................................................................................................................

パワーで球場の雰囲気を一変させるオリックスの主砲・ペーニャ。
実はその走力もあなどれないことを披露した。

同点の六回、 無死一塁で一塁走者・ペーニャは、
打席のヘルマンが左翼フェンス際に打ち上げるのを見ると、一塁へ戻った。 タッチアップだ。

一方、前日にプロで初めての外野守備についた松井稼頭央(楽天・元大リーガー、内野の名手)にその警戒はない。
その隙を突いた。
捕球と同時にスタートし、悠々と二塁に。
その主砲の抜け目ない走塁が、次のT岡田の二塁打で勝ち越しホームインにつながった。

191cm、118kg、巨漢と、これまでの27本塁打の実力から、走るイメージは遠い。
だが、佐竹コーチ(走塁)は
『意外にスピードに乗れば早いし、状況判断もできる。 外国人の中では走塁への意識の高さはトップレベル。』

長い脚を生かした走力に加え、塁に出ると佐竹コーチに相手守備位置を確認したり、
試合後のミーティングで、他の選手が緩慢な走塁をしたゆえに注意される姿を、傍で耳を傾ける。
「ひとつでも前の塁に進む」
というチームの方針に、高い意識を持つ。

『走塁面でも、自分がなんとかできる自信がある。
できることに最善を尽くすし、それがチームの勝利につながるんだ。』 とペーニャ。
首位奪還を目指すチームを、足でも鼓舞している。

(引用おわり)
.......................................................................................................................

なお、少し話は逸れますが、
この試合の先発は金子。
現在、防御率トップのチームのエースです。

楽天の田中将大(現ヤンキース)投手がいたころには、パリーグで彼の陰に隠れた存在だったのかもしれませんが、
金子は常に奪三振のトップ争いをする押しも押されぬ大投手のなのです。
その彼は、奪三振ショーを魅せた試合後のインタビューで、そのことを触れられると、あまりいい顔はしません。
常にチームの勝利へ、自分の成すべきことを最優先に自分に厳しい男なのです。

この日のインタビューも、こう答えました。
四回に味方のミスが絡んで2点を先制されました。
その後、チームは逆転し勝利投手になったのですが…
『先に点を取られたのは本当に注意しないと。』と。
好投にも、自らへ厳しい言葉でした。


脱線もしつつ、いろいろとお話を並べました。
読んでいただき、ありがとうございます。

ともあれ、今、オリックス・バファローズの「ハート」は、見習うべきところがあるように思います。
青島製作所・野球部とかぶって見える、なんて冗談はともかく(笑)

具体的に、
「そのとき、自分は何をやれるか?」
という主体性をもって、
いろいろな現実の場面で活かせてゆけたらと思います。


「烏合の衆」にだけは、なりたくないですもんね。(^○^)ノ




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【2014/08/25 00:03】 | ◇日々徒然
|
『○○さん、いつもニコニコしてる~』
そんな言葉をかけられることが多くなりました。
そう思っていただけると嬉しいものです。

でも、何かイイことがあったからじゃなくって、
意識してそうしているんです。
「できるだけ笑顔でいたい」…って。

私は、どちらかと言うと無口なほうで、
ちょっとした挨拶やコミュニケーションでのボキャブラリーは貧困です。
そんな私がポーカーフェイスでいたら、誤解のもとです。
いや、若い頃はポーカーフェイスで誤解も多かったようです。
辛かったし、とくに仕事上も壁にぶつかりました。
仕事は「できる人」だったけど…です。たぶん。

何年もそういう生き方をしてまいりましたし、
性格ですから、無理して変わるなんてできません。
明るい人、饒舌な人、すぐに人の輪を作っちゃう人、羨ましいかったなぁ…。
それに、話を続けるのが苦手で、実は私信メールの幾度もの往復は続けられないんです。
それもあって、ここのReコメントに関して、初めっから謝っているんです(´・ω・`)
それでも、これ「自分」ですから、嫌いじゃありません。
ええ、愛おしいです(笑)

こんな私ですが、それなりに家では存在感アリアリなわけです。
けっして背伸びもしないし、する必要もありません。
ある日、疲れて帰ってきてリビングに。
 娘 『おとーさん、還っていた瞬間のカオ、いつも…』

ムスっとしていると言いたいんだとわかりました。
 私 『だって、マジに疲れているんだもん』
 娘 『でも、笑って欲しいよ~。 長い時間、会えなかったんだし』
 嫁 『そうそう、疲れていても笑うほうがいいよ』 
 私 『ん~~、それも一理あるなぁ…』

それ以来私は、 帰宅直後の“一瞬”がとても大事だと、
ニコ~っとすることを心掛けました。

すると、どうでしょう。 これって、けっして無理してるんじゃなく、
ほんとに心から「また逢えてヨカッタ」と、再確認の瞬間になりました。
笑顔が「笑顔のとき」をつくるんだなぁ~って思いました。
それからン年、この調子です。

よくよく考えてみれば、
若い頃いろいろ誤解を招いていた職場のポーカーフェイスも、
なんだか、ここにヒントがあるんじゃないか、って。

勿論、性格は変えられません。頑固に言ってるんじゃなく。
でも、自分の正確を知ることによって、「対処」はできます。
性格は変わらずとも、行動を変えることはできます。

「一瞬できまる」

これは、生意気にも私の座右の銘です。
不得手だからこそ、最初の一瞬が「チャンス」だと思って、全力で「ココロの晴天」を出します。
私は無口ですが、そうすると相手がお喋りしてくれます。

生命の中から湧き出る「ココロの晴天」を、日々の朗々たる行いで培ってまいりたく思います。

不得手も味方にして…です。


またキカッケをもらったわけです。
娘に感謝。
おとーさん、頑張ってマス(^_^)v





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【2014/08/18 00:01】 | ◇日々徒然
|
タイトルの言葉には、前半があります。
加えて書きますと、こうなります。

『一人の男子に授ける教育は、一人の人間を育てる。 
(しかし) 一人の女子に授ける教育は、未来の世代をも育てる。』

(※カッコの加筆と太字は、イクゾー筆)


実はいろいろと資料をもとに、この言葉の背景をご説明しようと思っておりましたが、やめました(笑)
何故なら、読んだままで、もう答えが書かれているんですよね。
ええ、けっして手抜きではありません(;´∀`)

さて、この言葉をあえて今日、「終戦の日」に持ってまいりました。

戦争はダメ。
そうです、殆どの人は賛同します。
ただ、現実に置かれた難しい状況に対処するために、
その「平和」という山への、いろんな登り口があり、諸意見が分かれたりするものです。
男性は「理論」で訴え、 女性は「生命」で訴えているような気がします。

私は男性ですし、頭っから男が間違っているとは言いたくないのですが(笑)、
何より、その女性の「何がなんでも生命第一」という、母性からくる生命次元の「感性」を、
けっして疎かにしてはいけないんだと、いつも心に据えておきたいと思います。

今は亡き母が、『戦争はもうこりごり』と言った話を、私は生涯忘れません。
少女時代を戦争の真っ只中で過ごし、空襲による人の死と恐怖を身近に体験した母。
出征した兄を亡くし、悲しむ祖母の無念、そして窮乏極まる焼野原。
たった一言その『戦争はこりごり』という言葉に、どれだけの重みを持っているのか、
少年時代の私が母から託された「遺言」だったのかもしれません。

八月が来るたびに、日本中が風化させまいとします。
ですが、伝えてゆく人がだんだんと減って行く中、それも難しく、厳しいものとなってゆくことでしょう。
なので、理を説くよりも、「生命」にその平和のDNAを伝えてゆく時代なのかも…と生意気に思っている次第です。

私には娘がいます。 まだまだ、戦争って? 平和って? そんな程度だと思います。
政治次元の難しい選択を、世のオトナたちも懸命に取り組んでいるのは理解できます。
でも、私にできることは、亡き母が残した「遺言」を娘に伝えること。

「そのまた未来へ」と伝わることを信じて…。




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【2014/08/15 00:08】 | ◇日々徒然
|
さてさて、酒もタバコも賭け事もしないわ、それでいて(ほぼ)無趣味のツマラナイ中年オヤジが、
大好きなコーヒーすすりながら気まぐれに書いております(^○^)

毎日暑いです。
年々体力が衰える私は、運動などで「鍛える」というより、
もっぱら、「いたわる」ほうにシフトしております(;´∀`)

そんな暑いある日。
仕事でスタッフと合流の場所の傍に、たまたま集合住宅と公園がありました。
ひとり泣いている男の子、幼稚園児かな。
先に到着のメンバーがなんだかんだと遠巻きに見ているようです。
その“おっさん”(同僚の先輩スタッフ) たちは何もしません。
「兄弟とか、友達がいるだろうし…」と。

私は「ん?」と思いつつ、その雑談の場からひょこり離れた。「トイレ行ってきます。」
と、言い残し、そのお子のもとへ。
“おっさん”たちの死角になって、お子に語りかけた。

私  「どうしたの?」 
お子  「○×△□・・・」 (とくに緊急性はないようだ)
私  「そっかぁ。」 「で、十分泣いたか?」 「このあとどうするー?」
お子  「○×△□・・・」
私  「じゃ、泣き止もうか」


ニコリとし、その場をあとにしました。

トイレを済ませ、“おっさん”たちのもとへ。

おっさん  「なんだ、声をかけたのか?」「そんなことしなくていいんだ。親とかいるだろ。」
おっさん  「そうやって甘やかしているから、弱い子ばかりになるんだ」
私  「いえ、今のお子たちは昔とは接し方を変えなきゃ…」
おっさん  「あのなぁ、男親なんか何の役にも立たないんだ。」 (瞬時に顔色が変わってたなぁ…苦笑)
おっさん  「この前の事件も…○×□△☆○×…」   (はぁ?何言ってんだ?このおっさん・笑)


私、“苦笑い”だけ。
私はそこで討論する気はサラサラないので、すこすこと別のことをするフリで、少し離れました。
これでいい(笑)

私は他所の子であれ、子どもたちとの接し方を変えるつもりはありません。
この時だけの話じゃありません。

『いつもオトナたちは君たちの傍にいる』

こう、近隣や周囲のオトナが存在し続ける“距離感”が、昨今の足りないことだと思っています。
それは「干渉」することとは異なります。
「見ているよ」、その視線が大事なんだと思うのです。
「お~ヨチヨチ」、…そんな構ってあげるみたいなものとも違います。

子どもは見ていてほしいのです。 
トコトンの解決を欲してばかりじゃありません。
オトナの役割は、「そっかぁ」 …その一言だけでいいんです。
そうすると、結構自分で立ち上がれるんです。

無関心が生む、社会の殺伐とした空気が、子どもたちをも蝕んでゆきます。
信じられないような事件の根も、元をかえせばオトナ、周囲のせいなのかもしれません。



私は、器用ではありませんし、どちらかといえば物静かです。
でも、
声をかけるための「壁」は、瞬時に取り払います。

私のこのやり方を、討論のネタにする気はありません。
でも、これを変えるつもりもありません。

「まず、お子たちに耳をすませる」
一期一会のお子であっても、
お子たちにとって、間違いなくそれは「オトナ」です。
「オトナ」の世界からの“親善大使”として、
お子たち側の壁を取っ払ってもらう行動をします。

未来へ---。 
すべてがオトナ側の心得で決まると私は思うのです。

オトナは高いところから降りて来い!
---そう思うわけです。



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【2014/08/11 00:11】 | ◇日々徒然
|
親バカで申し訳ありません。
過日、娘が英語検定(  )級に合格、びっくりです。 
筆記試験の合格後、面接式の二次試験に挑んだのですが、
親の私もまさか一回で合格するとは思っていなかったのです。

独学で、結構短期間だったと思います。
当然ながらこの間、日々の本来の学習課題もありますし、
学校授業とはまったく進度も違います、よくやりました。

ある意味、必ずやらなきゃけない…って縛られるものじゃないですから、
のびのび取り組んでいたようです。
あくまで本来学習が優先ですし、私もまるでゲーム感覚で「がんばれ~」って感じでした。

善悪はともかく、「合格したら五千円あげる」なんて、
バカ親丸出しの約束をしていましたが、なんとも現実のものとなってしまいました(笑)
勿論、私のポケットマネーです。
しばらく倹約の日が続きそうです。大袈裟ですね(;´∀`)
嫁いわく、「絶対、賞金ゲット!」と、娘は密かに闘志を燃やしていたそうです。
なんとも、さすが我が子(苦笑)

それにしてもあっ晴れ。 よく頑張りました。
勝利体験はきっと糧になります。
「次も頑張る」
そう、言っています。 いいぞ、その意気!
さっそく次の級のテキストをAmazonで注文しました(笑)

その、娘。
二年前、大きな挫折をあじわい、ひと回り大きくなったような気がします。
挫折というのは事件の総称として、便宜上そう呼んでいますが、
実際は「危機」だったと思います。

親として骨を折りましたが、今なおその代償は払い続けておりまして、
私のほうも、いろいろ悔しいやら腹たつやら、思いは山ほどございましたが、
これもまた親の甲斐性かと、まぁ日々奮闘であります。
ただ、何より娘が明るさを取り戻し、元気でいる姿は嬉しいものです。
それがいちばんなのです。

大人になれば山あり谷ありですね。
こう言っては何ですが、早い(若い)うちに、ああした経験を得た(得てしまった)のは、
きっと財産になると思います。
実際、いろいろ聞くと「成長したなぁ」と感じます。

ただ、辛い出来事は、心的外傷となって深く刻まれることもしばしあります。
私なんかも、いまだ、ある場所を通りかかっただけで心(胸)がギュっと締め付けられるのですから、
事象自体を克服したとしても、なかなか心の奥底の記憶は消せないものなのです。

ですので、この先ずっと彼女の中にどんな形で記憶に残るのか?、それとも残らないのか?、
その答えは彼女自身が一歩一歩、勝利の体験を積んでゆくしかありません。
小さな積み重ねです。

『月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』 と申します。
慢心せずに。

未来ある若者です。
ビルの屋上から遥か遠くを見渡すように、いくらでも希望は広がるはず。
でも、一歩勇気を出してそこを見ようとしたとき、足がすくんでしまう・・・。

そんなとき、私が「手すり」になる。
遠くを見るのは君(娘)自身だけど、
君が安心できるように、その役割を果たしたい。



あ、そうそう
そんな偉そうなこと言ってるお父さんも、
君のお母さんのかけてくれた言葉に、随分と「グッ」ときたんだよ → ( `ー´)ノ

いい歌詞だね。





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【2014/08/03 08:30】 | ◇日々徒然
|