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◇さぁ、奄美を救ったソテツ(蘇鉄)を語ろうか。

久しぶりの更新。
今回は、大河ドラマ「西郷どん」で描かれた奄美大島の話をひとつ。
あまり構えず、平たい言葉で綴ってみようと思います。


西郷さん(吉之介。のちの隆盛)が京で、幕府に目を覚まさせるために工作に動いていたころ、
井伊大老による反撃で、橋本佐内ら多くの人たちが粛清された。
時同じく、無二の主君・島津斉彬が急死した頃。
西郷さんは志を同じくし、幕府から追われる身である僧・月照と薩摩へ逃げ延びますが、
幕府の追手を恐れる薩摩藩は西郷を処分しようとします。
しかし長年の友・大久保正助(のちの利通)の助力によって、当時の藩実力者・島津斉興は月照を殺す代わりに助命を約束する。
しかしその実行の途上、それができない西郷さんはついに月照と入水自殺をはかります。
ですが、西郷さんだけが助かります。
薩摩藩は西郷を罪人とし(一説では幕府の追手を阻むため)、奄美大島へ流罪としました。

---と、話は忠史のとおり。

その奄美。
長らく薩摩藩の支配下にあり、その奄美におけるサトウキビの収穫は、薩摩藩の財政を潤すことに大きな役割を果たしました。
…と、聞こえは良いのですが、要は収奪。奄美の人々を、ものすごく苦しめました。
ドラマでも一部描かれ、心優しい西郷さんはえらく激怒し、代官にも反抗します。
しかし、報復を恐れた村長(むらおさ)はそれを止め、奄美の宿命を説きます。

さて、そのサトウキビの収穫は、ほぼ全てが薩摩藩に召しあげられ、その年貢の収穫が不安定さを増すと、
とうとう全ての畑をサトウキビにするよう要求します。
そうなると、島民の日々の食糧はつくれなくなります。それでも強引に全ての畑をサトウキビ畑に変えさせました。
そんな島民たちは日々の食事も満足にできず、困窮・飢餓は極まります。

そこで島民の空腹を救ったのが「ソテツ」です。
え?ソテツ?
そう、あのソテツ(蘇鉄)です。
本来、自生し、とても「食べる植物」ではありません。
ですが、知恵と工夫によって、もちろん毒抜きもおこない、おかゆのような食べものとして激変しました。
このソテツこそが、奄美の人たちの命を救ったのです。


奄美の郷土食としての「ソテツ」について語られたサイトがありました。

毒抜きをして食べる奄美の郷土食【ソテツのデンプンで作る「シンガイ」】
..................................................................................................
このソテツですが、奄美大島では古くから食用としても利用されていました。
食べるのは、もちろん葉っぱではなく、実(ナリ)や幹の芯の部分。
ソテツの実(ナリ)から作る味噌「ナリミソ」や、幹から採るデンプンで作る、「シンガイ」(芯の粥)などが有名です。

(本文より抜粋)
..................................................................................................


さて、この奄美のソテツ、前述したとおり単なる郷土食というより、奄美が置かれた悲しい歴史的背景があってのこと。
追い詰められたその果てに、起死回生の「イノチの食べ物」であったことを覚えておいてください。

実はそのイノチの実話、あのNHK「ブラタモリ」で語られていたから驚きでした。
ご存じの方もいるかと思いますが、ブラタモリといえば各地を訪れて、地形やそれにまつわる歴史を探訪する番組です。
ただ、歴史といっても、例えばこの城下町でどういった水資源の確保をしたのか?だとか、
この山や断層がどういった積み重ねで地形が形成されただとか、さまざまなのですが、
この奄美編で語られたのがこの薩摩藩の圧政によるソテツ食のこと。明るい番組進行が殆どな中、ほんとに珍しく重いお話が挿入されたのです。

■反響要約 NHK ブラタモリ #66 奄美大島 ▽島津家圧政で「黒糖地獄」となった奄美大島の歴史とは?【2017年3月4日(土曜日)放送内容】

※記事中段、「島津家の圧政「黒糖地獄」とは?」をご覧ください。


時、同じくして大河ドラマで「西郷どん」、その中でも薩摩藩の圧政を惜しげもなく語られていましたが、
同じ放送局の番組でも、それを予感させるかのように触れていたのはけっして奇遇ではないはず。

歴史にはいろんな角度によってさまざまな視点がありますね。
また「ブラタモリ」が好きになりました。




あとがき。

さて今回、コチラのサイトでは、かなりご無沙汰の更新。
本当は、もう余程のことがない限り、もう更新しないだろうなぁって思っていた。

このところ、正直いって手間暇かけてブログを書いたりする気力もなくて…。
忙しいというのもあるけど、たとえ時間があっても、凝った書き込み(記事)に、気力も興味もなくなっている。

私の意見発信系SNSの中心は、ずいぶん以前からTwitterになっている。
ささっとその時の思いをぶち込んでゆくほうが楽だし、
何より決められた文字数の中でどう詰め込むか?が面白いってのもある。

もっぱら、拙Amebaブログのほうでは、より「ブログ」らしくできている。
一方で、こちらのような、難しい話を長文で引っ張ることも、もうしんどくなってきた。

今回、それでもこのテーマを掲げて記事にすえたのは、思いつきではなくって、
実は、以前からの構想。備忘録的にもこのテーマで残しておきたかったんだ。

わが街、大阪には奄美出身の人がかなりいる。勿論、沖縄も。
奄美の歴史に少し触れておきたかったのも、そういった背景から。


お読みいただき、ありがとうございました。




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◇お客だけど「ありがとう」を言う大阪人、言わない東京人。

東西比較ネタは鉄板ネタですね。
いつも自らの大阪人気質を意識しながらいるオレなんですが、実は以外に「へぇ~」と思ったのが表題の件。
それほど当たり前に思っていました。
ふつうに「ありがと」って言わないか?言いますよね?(笑)

たとえば今、コンビニの挽きたてカップコーヒー、100円で大人気。
大手3チェーンそれぞれに特徴ある味です。よく買います。
その中で唯一、店員さんが入れてくれるのがローソン。(大阪だけかな?)
オレはどっちかというと、自分で入れたい派で、ローソンのソレはちょっと気遣ってしまいます。
コーヒーだけで購入する場合、100円でそこまで店員の手を煩わすのが気の毒で仕方ないのです。
ヘンですかね?(笑)
とくに、たくさんのお客さんで忙しく混んでいるとき、むちゃくちゃ気を遣います。
なにもそこまで思わなくていいでしょうが、思ってしまうものは仕方ない。
大阪弁で言うなら、「気ぃ遣ィい」なオレ。

そんなローソンで、コーヒーを手渡されたとき、オレは自然に「ありがとー」が口から出る。
それが「おかしい」んだそうな、東京の人は。。。。
それもサービスとして当然であって、お客の側からの「ありがとう」が、不思議に映るんだそうです。

もう一度言いますが、これ、フツーでしょ?(笑)
お礼、人間として自然でしょうに。
東京の人は、「私は客だ!」って感覚が強いのか、
買う側と売る側の「線引き」を、大阪以上に重んじるんでしょうね。なんだかねぇ。。。



ところで、商人(あきんど)の街・大阪。
その、古くからの大阪商人は、とくに船場(せんば)を中心とした「船場商人」と呼ばれます。
その神髄たるや、まさに「売らせていただく」であり、
船場の商いとは、「もうけ」だけに走るのではなく、売るほう買うほう互いに「メリットがあること」が大前提なのです。

よく大阪に対する「ステレオタイプ」のイメージでは、ガツガツしたカネに汚いといったものがあります。
それは武士の町・江戸(東京)からは真逆な、商人の町・大阪といった対極の文化があり、とくに武士にとっては、「商いは武士のやることではない」といったプライドのようなものがあるそうです。
お金を稼ぐことに対する嫌悪があるのは仕方ないことだと思いますが、それにしても大阪のソレは、東京人の思うものとは大きくかけ離れた「船場商人」の真実があるのです。

少し脱線したように思われるかもしれませんが、これらはたとえ商人でなくとも大阪に住む人の心に根付いている何かが、前述の「お客(買う側)も、ありがとうを言う」という文化が自然と身についているのですね。
必ずしも全ての大阪の人がこういうスタンスというわけではありませんが、統計的に東西比較した場合に顕著にその数字が物語っているようです。

そんな大阪も、東京同様に「地方からの流入」も増え、そうした大阪らしさが薄くなるようでは悲しいものですが、まだまだしっかり健在のようです。


◇「強くなければ優しくなれない」    ~被災地の過酷な環境の中で、 自衛隊員たちは何故こんなに優しくできたのか---

被災地の過酷な環境の中で、
自衛隊員たちは何故こんなに優しくできたのか---

まもなく3.11---
あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。


■プロローグ

『俺、自衛隊に入る』、ポツリと小学生は言った。
『なぜ』と聞かれて、こう理由を語った。
津波に呑み込まれた父親が帰ってこないかと
毎日、ずっと海を見つめていたところ、若い自衛官に声をかけられた。
そこの佇む理由を話すと、
その自衛官は何も言わずに肩に手御置いて、
しばらくの間、一緒に海を見てくれたのだという。---


被災地で救援に従事している自衛隊の一隊が、
ある学校の傍を通りかかった時、
先生から
『どうしても金庫にしまった成績表を引き上げたいんです』と頼まれた。
子供が行方不明の親御さんに、せめてもの形見にしてあげたいのだという。

泥の中から金庫を取り出すのは至難の業だったが、
小隊全体でなんとかやり遂げた。
そこに視察中の上官が通りかかった。
作業を指揮していた小隊長は慌てて、
『すみませんでした。今後は捜索に集中しますので、
今回だけは見逃してください』と懇願したところ、
『素晴らしいことだ』と、逆に褒められたという。


毎日、朝から晩まで
被災者たちの救援で大変な毎日だったのに、
自衛隊諸士は、なぜこんなにも優しくなれるのだろう。



■細やかな心遣い

お腹をすかせている被災者を見かねた自衛隊員が、自分の食料をこっそりと配っていた。
被災者たちも
『本当にもらっていいんですか?
あなたの食べるものが、なくなってしまうのではないですか?』
と何度も確認したそうだが、
自衛隊員たちは必ず笑顔を浮かべて、
『しっかり食べていますから、大丈夫です』と答えたという。
厳密にいえば、
自衛隊の食糧を流用したという意味で、組織上のルール違反なのだが、
目の前で苦しんでいる被災者を、なんとしても救いたいという
純粋な気持ちから起こした行動であり、上官たちも見て見ぬふりをしていた。

また、食事をする際にも、
「被災者の目に触れない場所で食べる事」というルールを守っていた。
行方不明となった家族を必死に探している人が、
自衛隊員たちが腰をおろして食事をしているところを見たらどう思うか、という心遣いからだ。

しかし、すべてを津波で押し流された被災地では、
自衛隊車両の中くらいしか、隠れて食事ができる場がない。
しかも、その車両はつい今しがたまで、
遺体を運搬していた、という事もしばしばであった。


避難所では、自衛隊の持ち込んだ風呂が喜ばれた。
もともと1個師団につき、二つづつ配備されているものだが、
それを被災者に提供した。
テントの入り口に暖簾をかけて「〇〇の湯」と、
その部隊所在地の名前を書き込むだけで、
被災者は体だけでなく心もホッと温まる。

しかし、もともと部隊用なので、かなり湯船が深くなっていて、
入る際の段差が高く、お年寄りには大変だった。
そこで、すかさず隊員たちは、あり合わせの材料でお年寄りのための階段と手摺りまでこしらえ、
誰で入れるバリアフリーの風呂に変身させた。
女湯では、女性隊員たちも一緒に入浴して、被災者のお世話をしたり、
避難所での悩みに耳を傾けた。

過酷な環境の中で、自衛隊諸士たちは、
なぜこんなに細やかな心遣いができるのだろう…。



■過酷な環境と使命の中で

こうした優しさや心遣いは、
思いやりのある人ならだれでもできるだろう。
しかし、被災地で自衛隊の置かれた過酷な状況と使命を考えあわせたら、
それが到底、常人のなせる業ではないことに気付く。

朝は6時頃から日没までは、ひたすら救援・捜索活動をする。
瓦礫の下に行方不明者が残っている可能性もあるから、
ビルの工事現場のように重機で一気に取り除くわけにはいかない。
行方不明者や遺体を捜索しながら、手作業で慎重に一つ一つ除去していく。

遺体が発見されると、できる限り丁寧に収容することを心がけているが、
担架などないから、背負って収容所まで運ぶ。
戦闘服には腐敗した体液がべっとりついて、大変な異臭を放つ。
しかし、かの「事業仕分け」の影響から、殆どの隊員は戦闘服が二着しかないため、
消臭スプレー等でなんとかごまかすしかない。
ま自分の子供と同じくらいの歳格好の子供の遺体を収容するのは、
とくに精神的ストレスが大きい。
一日の作業終了後には、隊で車座になってその日一日の
苦しみ、悲しみを互いに吐きだしていたという。

温かい食事を作る炊事車はあるが、被災者の食事を優先するので、
多くの場合、乾パン、缶詰、カレーなどのレトルト食品だけとなる。
いかも、レトルトといっても温めることもない。
こういう食事を、しかも不規則な時間に、かつ被災者に見られないように素早くとっていると、
野菜不足もあいまって、ひどい便秘や口内炎に悩まされる。
また、上述のように、風呂も被災者に提供しているので、
当初、隊員たちは汗ふきタオルで済ましていた。
こんな毎日が数ヶ月も続いたら、通常の人はそれだけで病気になるか、
ノイローゼになってしまっただろう。
そんな状況の中で、もし我々だったら、
(冒頭のように)海に佇む少年の肩を抱いてやったり、
成績表の入った金庫を泥沼から引き揚げたりすることが出来るだろうか。
なぜ自衛隊員たちにはそれができるのだろうか。---



■強くなければ優しくなれない

その秘密を、かつてイラク支援の「ヒゲの体長」として名を馳せた
自衛隊OB佐藤正久氏(現・参議院議員)は、
『強くなければ優しくなれない』として、こう説明している。

---結論から言いますと、
「もっと過酷な条件下で訓練しているから」に尽きます。

基本的に自家隊員たちは、朝6時に起きると
そのまま夕方までハードな肉体錬成や、各種訓練に明け暮れます。
そして、その全ての訓練を終わると、
それぞれクラブ活動として、野球やサッカーなどのスポーツに励んでいます。
つまり一日中、野外で立ちっぱなし、動きっぱなし、というのは
自衛隊員にとって、特別な事ではないのです。

こうした日々の鍛錬に加えて、
時には「3日間で100キロ歩く」という行軍をおこなう。
背中には20~30キロの荷物を背負い、
更には機関銃やロケット砲などを持って歩く。
夜も交代で歩哨をする。
こうして100キロ踏破して目的地に着くと、そこから本番の演習が始まる。
こうした極限状態を体に覚え込ませることで、
どんな厳しい状況に置かれても耐えてゆける体力と精神力が見につく。

しかし、いくら体力と精神力が強くとも、
人間としての優しさは別問題である。
それはどこから来ているのか?---

佐藤さんは、
常に集団生活をしていることで、そういう心が育ってゆくと説く。
集団生活を維持してゆく、と言うと
「切磋琢磨して成長し、ついて来られない者は切り捨てる」 
と勘違いされる方も多いようですが、実際はまったく逆です。

つまり、
いちばん能力が低い人間に、グループ全体の基準を置くのです。
全体を底上げしようとしたら、
いかに能力が低い人間をフォローし、その人間の力を引き上げるか考えなくてはいけません。
これ自体が、なんでもできる人間にとっては、苦痛を伴う我慢になります。


そういったことを繰り返してゆくうちに、
自然と仲間のために自分を殺してフォローに回るという自己犠牲の精神が
しっかりと心に刻み込まれてゆくのです。出典URL


◇ 


【あとがき】

いかがでしたか?
大災害における自衛隊の活躍を語るに、多くのエピソードがあると思います。
勿論、私のみならず多くの皆さんの喝采と感謝の念は尽きないことでしょう。
ただ、今回ここで私がお伝えしたいことはそれだけではありません。

最後段にある佐藤氏のお話に、
あらゆる組織、職場、あるいはチーム、スポーツの中でも共通する
大切なことを見出すことができます。
リーダー論でもあります。

「ひとりの優秀な人間」は、どこにでも存在しうるのですが、
全体の底上げという課題に対し、応えてゆけるかは全く違う話となります。
人よりも優秀であればあるほど、時として他者との能力の差が仇となってゆくことも…。
人を育て、全体として勝利してゆくことは、
自分だけの勝利よりも、遥かに困難な道程だということがわかります。


---そういえば

この冬、冬季オリンピックで
スケート女子、パシュートで日本チームが金メダルととりましたね。
ご存知かと思いますが、パシュートは三人一組、最後にゴールした選手のゴールタイムでタイムが競われます。
先頭の風よけを交代したリ、時にはバテたメンバーを後ろから支えたり、
各国、チームワークがお見事です。
私も初めて知った競技ですが、日本人らしさが活かせる競技のように思えました。

なお、余談ですが、その三人目を遥かに後ろに残したまま、前の二人がゴールし、
あろうことか、「負けたのはその三人目のせい」ということをにおわす発言をした国(チーム)もありましたね。
これでは「パシュート」ではありません。

パシュートの醍醐味は、やはり「ひとりも漏れなく」ですね。
ついてこれないチームメイトを共にゴールさせるために、
自分や自分たちがそこに寄り添ってゆける、優しさと強さの重要性を、あらためて感じるよい機会でした。


※3.11関連の過去記事
◇昨日の闇が明日の光になる。

 

◇ある障害者雇用に取組む企業のものがたり・スピンオフ   ~障がい者を、ただ「救ってあげる対象」と考えるのは増上慢。

あー、どうも。宮部です。
うるせぇトリ

まじめにコラム&エッセイ書いています。
一応、自分の言葉で書いています。
数行で終わるような手抜きもしません。
毎回、ひとつ一つ力作です(笑)
文字であふれて、読むのがしんどいとの声もあるかもしれませんが、
私の場合、スマホで読んでもらうことなんて、まるで想定してないので。。。 自己満足です。


さて、表題にある
「スピンオフ」とは---

本来のストーリーから離れた、別視線のものを指します。

ここでは、番組の主題をさておき、
私の気づきを中心に、綴ってみたいと思います。


■こんな企業があったとは…

すべての人にとって幸せな職場とはとは、いったいどういうものなのだろう?
そう考えさせられる、あるドキュメンタリー特集をテレビで視た。

障がい者雇用で素晴らしい実績ががある、ある企業。
さまざまな工夫、取り組みがなされている。
粘り強く、強い信念がないと、とてもじゃないがここまでできない。
経営者のその思いに、言葉では言い表せないぐらいの敬意を表したい。


■Twitterで気持ちを発信

関連するサイトをご紹介したい。



しかし、私の関心はそこは勿論のこと、
ドキュメンタリーの中で登場する、ある健常者従業員さんに目が向いた。





Twitterという短い文章、限られた文字数の中で、言いたいことは「詰め込ん」だ。
あとはデティールにすぎない。

だから、繰り返しになるが、
多くの福祉関連の逸話で、困っている人に対し我々は「救うもの」としてしか見ていないのではないか?
(勿論、私も少なかれハンデキャップを抱え、あるときは助けられ生きている。)

しかし、救う対象としてしか見ていなかった障がい者から、〝彼〟は確かに「救われ」た---。


■社長の葛藤

障がい者を雇用する企業は、なにもこのN社だけではない。
ただ、障がい者雇用の継続は、並大抵の努力でできるものではない。
雇えばよいだけだとか、美談で済むものでもない。
そんな困難な壁にぶち当たるのは、スタッフもさることながら、とうの障がい者ご自身だってそうだ。


N社の社長もかつて、障がい者は福祉施設にいたほうがよいのでは?と思ったこともあったそうな…。

福祉施設は、障がい者さんのために存在する。
だからこそ、100%彼らのことだけを考え、応えてゆける。
しかし職場、とくに健常者中心で世の中の経済活動の真っただ中にいる企業はそうはいかない。
利益を挙げ、ともに生活基盤を支えるために働く場所だから。
そんな現実の差比があるにもかかわらず、
あえて仕事に来るという厳しい現実を選択することが果たして障がい者さんのためになるのだろうか?---
そう葛藤があったという。

でも---

人間というのは、自ら働く事でしか得れない何かがある。
日々働き、得た収入で食べ、住む。
その自分の居場所に存在価値をみいだすことができる。
社長が決断したそのことは、やがて苦難な道を乗り越え結実する。


■スピンオフ  ~ある健常者社員の転機

健常者のAさんは、社内における障がい者さんたちの輪の中で働くポジション。
身分は彼ら(正社員)とは異なり、繁忙期に臨時で募集する有期雇用の派遣社員だ。

それはAさん自らが選んで、あえてそういう働き方を歩んできた。
人と交わることを極端に嫌い、できるだけ距離を置いてそっと生きてゆくことを望んでいたからこそ、
すぐに辞めることのできる有期雇用をあえて選んできた。
この会社に来るにあたって、障が者と共にする環境であることは聞かされていた。
障がい者さんと深い人間関係を築く必要もないと考え、むしろ歓迎だったという。

ところが、障がい者さんたちはいつも、自分たちの輪の仲間に加わってくる人には興味津々…。
いくらAさんが「ひっそりと生きてゆきたい」と願おうとも、人懐っこく寄り添ってくる。
Aさんは最初は戸惑っていた。
これまでの職場であれば、Aさん自身が「近寄りがたい存在」であろうとし、避けていた。
しかしここでは、そんなオーラは通用しなかった。
彼ら障がい者さんたちにとって、そんな壁などまったく関係がなかったのだ。

彼らこそ、壁のない生き方を歩んでいるのだろう---。

このことは、筆者(私)も、ハッとさせられた部分である。

やがて、生き生きと働く彼らに出会い、時間をともにし、職場の共通目標に汗を流し、Aさんは変化してゆく---。
Aさん自身、それに気づいていた。
この職場に出会い、それまでの自分自身がつくっていた壁が消えていた。
そして何より、
Aさんは「救われた」のだと思う。

「ものがたり」のホシは、そこにある。




大根おろし猫
支え合うに、上も下もない。




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◇【追悼 3.11】  昨日の闇が明日の光になる。 

タイトルを迷ったんだ。
タイトルが既にこの記事の結論。


---が、まだ伝えたいことがある。

先ず、この貴重な映像と、感動歌詞の動画をひとつ。




ある人が言ってた。
二万人死んだ・・・
違う、 「ひとりが死んだ」事件が二万件あったってことなんだ、って。

かけがえのない家族のひとりが亡くなり、
悲しみのどん底に突き落とされる・・・
そんな一つひとつの出来事を、「二万人死んだ」で束ねたくない。


この動画の、5分を過ぎた頃の一枚の写真を見てほしい。
実はこれ、新聞の記事になった写真だ。

幼い女の子が、自分で書いた一枚の傍で眠りについている。
読んでほしい。

そこには、「ままへ」で始まる----
この子の母親は、津波に流され帰っていない。
死の意味すらわからないこの子にとって、
ただひたすらに、母の帰りを信じ
母がいつも使っていた携帯電話を離さず、鳴るのを待っている。
「おげんきですか、いきているといいですね。」と結ぶ。

ひとつ
そして、またひとつ。
それぞれの物語が、何百件、何千件もの「ひとつ」なんだ。



どうしても親目線で見てしまう。
自分の命が散ることよりも、
残して逝くこと、
大切なものを断ちきられることの、
どうしようもない悔しさが、
きっとその子の親もあるんだとと思う。

突然の、何の前触れもなく。

誰しもが「日常」だったんだ。
その日常の上で、起こった出来事なんだ。


その「日常」の、やれることをやりたい。
自然災害だけじゃない。
突然の事故や、不注意、健康に関することだってそう。
だから、僕は自分の力でできることがあるなら、やるべきことをやる。
否、やらなきゃいけないんだ。
「必ず帰るんだ」----
そう、心に誓って。

僕はこの記事を目にして以来、
この切り抜きを、いつも仕事(通勤)の鞄に忍ばせている。
ほんとうの話だよ。
ほら、こうして今もある。 広げてみせようか。

P8030655.jpg


僕は毎日誓う。「必ず帰るから、無事故で」
いくつかの危険も伴う職業柄、無事故は勝ち取るものだと…。

できることは、
すべてやる。


誰だって無事に、
そして、
「あたりまえの毎日」がつづきますように-----。

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Information

南部(みなべ)蔵之介

Author:南部(みなべ)蔵之介
昭和生まれ、父、夫、勤労者、
平凡な大阪人のオッサンです。


※ご訪問いただき、いつもありがとうございます。
コメントフリーですが、頂いたコメントは公開/非公開ともに、基本的にめったにお返事はできません。
しかし必ず目を通しております。ありがとうございます。

ちなみに、当ブログではアクセス解析など一切やっておりませんので、ご安心の上お楽しみください。


*Amebaブログもあります。
とくにこちらは「ゆるい」です。(URLはリンク欄にてクリック)
よければどうそ。

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