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◇お客だけど「ありがとう」を言う大阪人、言わない東京人。

東西比較ネタは鉄板ネタですね。
いつも自らの大阪人気質を意識しながらいるオレなんですが、実は以外に「へぇ~」と思ったのが表題の件。
それほど当たり前に思っていました。
ふつうに「ありがと」って言わないか?言いますよね?(笑)

たとえば今、コンビニの挽きたてカップコーヒー、100円で大人気。
大手3チェーンそれぞれに特徴ある味です。よく買います。
その中で唯一、店員さんが入れてくれるのがローソン。(大阪だけかな?)
オレはどっちかというと、自分で入れたい派で、ローソンのソレはちょっと気遣ってしまいます。
コーヒーだけで購入する場合、100円でそこまで店員の手を煩わすのが気の毒で仕方ないのです。
ヘンですかね?(笑)
とくに、たくさんのお客さんで忙しく混んでいるとき、むちゃくちゃ気を遣います。
なにもそこまで思わなくていいでしょうが、思ってしまうものは仕方ない。
大阪弁で言うなら、「気ぃ遣ィい」なオレ。

そんなローソンで、コーヒーを手渡されたとき、オレは自然に「ありがとー」が口から出る。
それが「おかしい」んだそうな、東京の人は。。。。
それもサービスとして当然であって、お客の側からの「ありがとう」が、不思議に映るんだそうです。

もう一度言いますが、これ、フツーでしょ?(笑)
お礼、人間として自然でしょうに。
東京の人は、「私は客だ!」って感覚が強いのか、
買う側と売る側の「線引き」を、大阪以上に重んじるんでしょうね。なんだかねぇ。。。



ところで、商人(あきんど)の街・大阪。
その、古くからの大阪商人は、とくに船場(せんば)を中心とした「船場商人」と呼ばれます。
その神髄たるや、まさに「売らせていただく」であり、
船場の商いとは、「もうけ」だけに走るのではなく、売るほう買うほう互いに「メリットがあること」が大前提なのです。

よく大阪に対する「ステレオタイプ」のイメージでは、ガツガツしたカネに汚いといったものがあります。
それは武士の町・江戸(東京)からは真逆な、商人の町・大阪といった対極の文化があり、とくに武士にとっては、「商いは武士のやることではない」といったプライドのようなものがあるそうです。
お金を稼ぐことに対する嫌悪があるのは仕方ないことだと思いますが、それにしても大阪のソレは、東京人の思うものとは大きくかけ離れた「船場商人」の真実があるのです。

少し脱線したように思われるかもしれませんが、これらはたとえ商人でなくとも大阪に住む人の心に根付いている何かが、前述の「お客(買う側)も、ありがとうを言う」という文化が自然と身についているのですね。
必ずしも全ての大阪の人がこういうスタンスというわけではありませんが、統計的に東西比較した場合に顕著にその数字が物語っているようです。

そんな大阪も、東京同様に「地方からの流入」も増え、そうした大阪らしさが薄くなるようでは悲しいものですが、まだまだしっかり健在のようです。


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◇意外と「言いたいこと」は、短い文章でコト足りる。

ブログをあまり更新しなくなった理由に、長い記事を「意欲がなくなった」というのもあるけど、
けっしてネタがなくなったわけでもなく、書こうと思えば書ける。

ただ、Amebaで旧「なう」のお手軽さを覚え、もともとTwiterで短くまとめることに、ある種の面白さに目覚めていた。
だから短文だからといって、「ひと言」で済ませることはあまりない。
めいいっぱい制限数を使い、言いたいことを詰め込む。それで一応は「ブログ」「コラム」にもなっている。

例えば、
仕事で報告書を書いたり、伝達、記録、その他、多くがダラダラと書くことは許されない。
苦手ではないが、けっして上手いとも言い難い。 ただ、是非もなくその必然性の中にある。

Twitterは自分のガス抜きを越えて、言葉・文章のエンジョイ、チャレンジのツールでもある。


もし、こんな感想(以下)を、ブログで取り上げていたとしたら、
およそこんな文字数で済まなかったと思う(笑)



ま、まとめる楽しさは、「川柳」にも通じるな。






◇「強くなければ優しくなれない」    ~被災地の過酷な環境の中で、 自衛隊員たちは何故こんなに優しくできたのか---

被災地の過酷な環境の中で、
自衛隊員たちは何故こんなに優しくできたのか---

まもなく3.11---
あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。


■プロローグ

『俺、自衛隊に入る』、ポツリと小学生は言った。
『なぜ』と聞かれて、こう理由を語った。
津波に呑み込まれた父親が帰ってこないかと
毎日、ずっと海を見つめていたところ、若い自衛官に声をかけられた。
そこの佇む理由を話すと、
その自衛官は何も言わずに肩に手御置いて、
しばらくの間、一緒に海を見てくれたのだという。---


被災地で救援に従事している自衛隊の一隊が、
ある学校の傍を通りかかった時、
先生から
『どうしても金庫にしまった成績表を引き上げたいんです』と頼まれた。
子供が行方不明の親御さんに、せめてもの形見にしてあげたいのだという。

泥の中から金庫を取り出すのは至難の業だったが、
小隊全体でなんとかやり遂げた。
そこに視察中の上官が通りかかった。
作業を指揮していた小隊長は慌てて、
『すみませんでした。今後は捜索に集中しますので、
今回だけは見逃してください』と懇願したところ、
『素晴らしいことだ』と、逆に褒められたという。


毎日、朝から晩まで
被災者たちの救援で大変な毎日だったのに、
自衛隊諸士は、なぜこんなにも優しくなれるのだろう。



■細やかな心遣い

お腹をすかせている被災者を見かねた自衛隊員が、自分の食料をこっそりと配っていた。
被災者たちも
『本当にもらっていいんですか?
あなたの食べるものが、なくなってしまうのではないですか?』
と何度も確認したそうだが、
自衛隊員たちは必ず笑顔を浮かべて、
『しっかり食べていますから、大丈夫です』と答えたという。
厳密にいえば、
自衛隊の食糧を流用したという意味で、組織上のルール違反なのだが、
目の前で苦しんでいる被災者を、なんとしても救いたいという
純粋な気持ちから起こした行動であり、上官たちも見て見ぬふりをしていた。

また、食事をする際にも、
「被災者の目に触れない場所で食べる事」というルールを守っていた。
行方不明となった家族を必死に探している人が、
自衛隊員たちが腰をおろして食事をしているところを見たらどう思うか、という心遣いからだ。

しかし、すべてを津波で押し流された被災地では、
自衛隊車両の中くらいしか、隠れて食事ができる場がない。
しかも、その車両はつい今しがたまで、
遺体を運搬していた、という事もしばしばであった。


避難所では、自衛隊の持ち込んだ風呂が喜ばれた。
もともと1個師団につき、二つづつ配備されているものだが、
それを被災者に提供した。
テントの入り口に暖簾をかけて「〇〇の湯」と、
その部隊所在地の名前を書き込むだけで、
被災者は体だけでなく心もホッと温まる。

しかし、もともと部隊用なので、かなり湯船が深くなっていて、
入る際の段差が高く、お年寄りには大変だった。
そこで、すかさず隊員たちは、あり合わせの材料でお年寄りのための階段と手摺りまでこしらえ、
誰で入れるバリアフリーの風呂に変身させた。
女湯では、女性隊員たちも一緒に入浴して、被災者のお世話をしたり、
避難所での悩みに耳を傾けた。

過酷な環境の中で、自衛隊諸士たちは、
なぜこんなに細やかな心遣いができるのだろう…。



■過酷な環境と使命の中で

こうした優しさや心遣いは、
思いやりのある人ならだれでもできるだろう。
しかし、被災地で自衛隊の置かれた過酷な状況と使命を考えあわせたら、
それが到底、常人のなせる業ではないことに気付く。

朝は6時頃から日没までは、ひたすら救援・捜索活動をする。
瓦礫の下に行方不明者が残っている可能性もあるから、
ビルの工事現場のように重機で一気に取り除くわけにはいかない。
行方不明者や遺体を捜索しながら、手作業で慎重に一つ一つ除去していく。

遺体が発見されると、できる限り丁寧に収容することを心がけているが、
担架などないから、背負って収容所まで運ぶ。
戦闘服には腐敗した体液がべっとりついて、大変な異臭を放つ。
しかし、かの「事業仕分け」の影響から、殆どの隊員は戦闘服が二着しかないため、
消臭スプレー等でなんとかごまかすしかない。
ま自分の子供と同じくらいの歳格好の子供の遺体を収容するのは、
とくに精神的ストレスが大きい。
一日の作業終了後には、隊で車座になってその日一日の
苦しみ、悲しみを互いに吐きだしていたという。

温かい食事を作る炊事車はあるが、被災者の食事を優先するので、
多くの場合、乾パン、缶詰、カレーなどのレトルト食品だけとなる。
いかも、レトルトといっても温めることもない。
こういう食事を、しかも不規則な時間に、かつ被災者に見られないように素早くとっていると、
野菜不足もあいまって、ひどい便秘や口内炎に悩まされる。
また、上述のように、風呂も被災者に提供しているので、
当初、隊員たちは汗ふきタオルで済ましていた。
こんな毎日が数ヶ月も続いたら、通常の人はそれだけで病気になるか、
ノイローゼになってしまっただろう。
そんな状況の中で、もし我々だったら、
(冒頭のように)海に佇む少年の肩を抱いてやったり、
成績表の入った金庫を泥沼から引き揚げたりすることが出来るだろうか。
なぜ自衛隊員たちにはそれができるのだろうか。---



■強くなければ優しくなれない

その秘密を、かつてイラク支援の「ヒゲの体長」として名を馳せた
自衛隊OB佐藤正久氏(現・参議院議員)は、
『強くなければ優しくなれない』として、こう説明している。

---結論から言いますと、
「もっと過酷な条件下で訓練しているから」に尽きます。

基本的に自家隊員たちは、朝6時に起きると
そのまま夕方までハードな肉体錬成や、各種訓練に明け暮れます。
そして、その全ての訓練を終わると、
それぞれクラブ活動として、野球やサッカーなどのスポーツに励んでいます。
つまり一日中、野外で立ちっぱなし、動きっぱなし、というのは
自衛隊員にとって、特別な事ではないのです。

こうした日々の鍛錬に加えて、
時には「3日間で100キロ歩く」という行軍をおこなう。
背中には20~30キロの荷物を背負い、
更には機関銃やロケット砲などを持って歩く。
夜も交代で歩哨をする。
こうして100キロ踏破して目的地に着くと、そこから本番の演習が始まる。
こうした極限状態を体に覚え込ませることで、
どんな厳しい状況に置かれても耐えてゆける体力と精神力が見につく。

しかし、いくら体力と精神力が強くとも、
人間としての優しさは別問題である。
それはどこから来ているのか?---

佐藤さんは、
常に集団生活をしていることで、そういう心が育ってゆくと説く。
集団生活を維持してゆく、と言うと
「切磋琢磨して成長し、ついて来られない者は切り捨てる」 
と勘違いされる方も多いようですが、実際はまったく逆です。

つまり、
いちばん能力が低い人間に、グループ全体の基準を置くのです。
全体を底上げしようとしたら、
いかに能力が低い人間をフォローし、その人間の力を引き上げるか考えなくてはいけません。
これ自体が、なんでもできる人間にとっては、苦痛を伴う我慢になります。


そういったことを繰り返してゆくうちに、
自然と仲間のために自分を殺してフォローに回るという自己犠牲の精神が
しっかりと心に刻み込まれてゆくのです。出典URL


◇ 


【あとがき】

いかがでしたか?
大災害における自衛隊の活躍を語るに、多くのエピソードがあると思います。
勿論、私のみならず多くの皆さんの喝采と感謝の念は尽きないことでしょう。
ただ、今回ここで私がお伝えしたいことはそれだけではありません。

最後段にある佐藤氏のお話に、
あらゆる組織、職場、あるいはチーム、スポーツの中でも共通する
大切なことを見出すことができます。
リーダー論でもあります。

「ひとりの優秀な人間」は、どこにでも存在しうるのですが、
全体の底上げという課題に対し、応えてゆけるかは全く違う話となります。
人よりも優秀であればあるほど、時として他者との能力の差が仇となってゆくことも…。
人を育て、全体として勝利してゆくことは、
自分だけの勝利よりも、遥かに困難な道程だということがわかります。


---そういえば

この冬、冬季オリンピックで
スケート女子、パシュートで日本チームが金メダルととりましたね。
ご存知かと思いますが、パシュートは三人一組、最後にゴールした選手のゴールタイムでタイムが競われます。
先頭の風よけを交代したリ、時にはバテたメンバーを後ろから支えたり、
各国、チームワークがお見事です。
私も初めて知った競技ですが、日本人らしさが活かせる競技のように思えました。

なお、余談ですが、その三人目を遥かに後ろに残したまま、前の二人がゴールし、
あろうことか、「負けたのはその三人目のせい」ということをにおわす発言をした国(チーム)もありましたね。
これでは「パシュート」ではありません。

パシュートの醍醐味は、やはり「ひとりも漏れなく」ですね。
ついてこれないチームメイトを共にゴールさせるために、
自分や自分たちがそこに寄り添ってゆける、優しさと強さの重要性を、あらためて感じるよい機会でした。


※3.11関連の過去記事
◇昨日の闇が明日の光になる。

 

◇準備とは「言い訳を排除する」こと。  ~結果は本番前に決まっている。

今、あらためて「ドクターX」の最終回の録画を見てる。二度目。

大門が自身の癌手術に対し、ノートを記していた---

神原 『大門が〝決して失敗しない〟理由は、全てのケースを想定して準備を怠らないことにあります。』
蛭間 『いつも全ての患者に(こんな準備を)?…』
神原 『そうです。』


---我々(オレの職域)の場合、 IF PLAN (イフ=もしも) という。

「結果」に対して責任がある。
人命に対し、「言い訳」ができない。

場当たり的でなく、出来うる限りの準備を怠らない姿勢は、共通するものがある。
最高の医師のソレを、オレらが大それたことを言っているように聞こえるかもしれないが、人の命がかかるものに対する心得は同じであってしかるべきだ。

また、そういった「人命にかかわる」云々ではないお仕事だとしても、
段取り(事前の準備、備え等々)が、結果(成果)に大きく関わることは明きらかで、どんな仕事であれ、駆け出しの頃に『段取り次第できまる』というような薫陶を受けた人も多いことろう。


なお、「想定外」(の出来事への対処)を引き合いに出し、「マニュアルにとらわれてはいけない」といった言葉を発する人がいる。 が、これは前述の『全ての起こり得るケースを想定して準備を怠らない』といった教えの〝否定〟の口実にはならない。

一方、世の中には、いろんな「想定外」がある。だからといって「手をこまねいて」「何の準備もなく」「場当たり的」なスタンスで、ソレを〝待つ〟というのは、およそプロの姿勢とは言えない。
かの、レジェンド「イチロー」が試合前に行う準備は、まさに「全てを想定した」ものだそうである。
だからこそ、〝想定外〟の飛球に対応できるのであって、けっして場当たり的な「出たとこ勝負」ではないのだ。

「準備とは、言い訳を排除すること」。イチローに学ぶ準備の極意5つ (←クリック)
結果は本番前に決まっている---

繰り返しになるが、
世の中にある数々の「想定外」を、けっして「場当たり的」なことで対応することを美化してはいけないと思う。
プロの仕事が、「プロ」である理由を再認識したい。
我々はその上でお給料(報酬)を得ている。額の大小ではないはずだ。
少なくともオレは、プロの〝〇〇マン〟として、毎日の業務に向き合いたい。


なお、このドラマの最終回はブルーレイに保存な。



なお、最近はとくに文章が粗いのは自覚している。(言葉が荒いではなく、文章構成が粗い)
これは、拙・Amebaブロブの「日記」で、殴り書きしている内容からのものをベースにしているため。
あまり自分に負荷をかけずにいるため、構成も校正も甘い。だからオレにしては「量産」ぎみ。
けっこう楽をして書いている。まぁ続くとこまで続ける。無理はしないし、していない。



(拙・Amebaブログ連携記事)

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◇「成人式」、雑感。  ~親目線、子目線、多様な価値観へ。

成人式当日のレンタル振袖が、まさかのドロンされたニュース、痛ましい。
一生に一度の思い出をあのような形で踏みにじられた傷は、金銭では計りしれない。
世の中に「詐欺」が多分にあり、どれもみな卑劣だが、心の傷を与える所業は極悪だ。

それはそうと、最近の成人式への出席率は、一説には60%程度だとか。
いろんな理由も聞いた。
「やむを得ない理由から」、「自からの意思」だとか、様々だ。

前者はオレもそうだった。
当時は祝日におこなわれていた。現在のような日曜の前倒しはなかった。
二十歳の当時、大学の夜間部(二部)の学生で祝日は勤務日だった。 出席ができる人を、べつに羨ましいとは思わなかった。
そういう人生だと諦め(納得)していた。お金が必要だったし、大学に通えるだけ幸せだったんだ。

後者の例を聞いた。私立中学へ通っていただとか、二十歳になった今、地元に既に何の交友関係もない中、同窓会にも似たあの空気に耐えられないんだそうな。
このオレの説明だけでは伝わらないかもしれないが、オレが聞いた(理由)話ではオレは分かるような気がした。人の気持ちにはいろいろあるものだ。

そもそも、冒頭に挙げたニュースを見てもわかるように、たとえレンタルであろうと費用がかさむ。
このことだけでも心を痛める人は多いと思う。 勿論、本人だけにその重みを背負わせるケースは少ないかもしれない。
親たちが負担するその、子や孫にかける愛情を悪いとは思わない。オレだってできるだけのことはしてやりたい。

ただ、世の中はそうとは限らない。式典に集う若者の姿をみると、一定の「ハードル」が存在するのは事実だろう。
オレはこのハードルに、行政は何らかの手を打つべきだと思っていいる。
様々な業者の「稼ぎ時」も世の中の景気を支え、ひいては生活を支えているのは事実だが、ひとつの「色」(在り様)だけでない「何か」も、そろそろ考えるべきではなかろうか? 
成人式も多様化してよい。お金をかけない成人式の場をぜひとも用意してみてはどうか。それは行政の仕事だとオレは思う。

さて、オレは前述のような有様で成人式に無縁だったが、嫁さんのほうもナカナカやるもんだった。
オレの嫁さんだから言うが、嫁の生い立ちも相当な貧乏で(笑)、当然ながら晴れ着などない。
そんな彼女は早くから計画を立てて、自分で買うことを企んでいた。勿論、働いた収入のうち、実家に入れる生活費(!)を差し引いた残りから払うローンだ。そしてそれを見事に実現した。
高いよ、着物。 本人は「安物だよ」と謙遜するが、あの実家の状況の中、よく自分で買ったもんだ。
それをうちの娘に同じことをやれ、と言っても無理な話(笑) 今の子たちにはわからないで当然だろう。

その晴れ着は今もある。こんどは娘が「私が着る」と言っている。流行の柄だとか、好みの色だとか、いろいろあるとは思う。が、「これがいい」んだそうな。母のそういった経緯だからこそ、と言う。
晴れ着は、晴れの日こそ似合う。姿カタチだけでない、ココロの晴れの日になることを願う。

世の中、様々な成人式への思いがあることだろう。 
出席率だけをとって、嘆いてみせるだけでなく、オレらのようなおっさんオバハンが凝り固まった価値観をお子たちに押し付けてはいけない。これだけは強く思う。


(拙・Amebaブログ連携記事)

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Information

南部(みなべ)蔵之介

Author:南部(みなべ)蔵之介
昭和生まれ、父、夫、勤労者、
平凡な大阪人のオッサンです。


※ご訪問いただき、いつもありがとうございます。
コメントフリーですが、頂いたコメントは公開/非公開ともに、基本的にめったにお返事はできません。
しかし必ず目を通しております。ありがとうございます。

ちなみに、当ブログではアクセス解析など一切やっておりませんので、ご安心の上お楽しみください。


*Amebaブログもあります。
とくにこちらは「ゆるい」です。(URLはリンク欄にてクリック)
よければどうそ。

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