すぐ傍にあるしあわせ
レール
二本のレールが果たす役割に、妻と歩む人生を重ねる---
(※写真は廃線跡)


こんにちは、 宮部蔵之介ブログです。
ご訪問いただき、ありがとうございます。



昭和生まれで、根っからの浪速っ子、
大阪をこよなく愛してやまない、いたって普通の社会人、夫、父です。

現在、 50代を迎えました。


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私と妻の散歩みち。


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【2021/03/11 00:00】 | *未分類
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あー、どうも。宮部です。
うるせぇトリ

まじめにコラム&エッセイ書いています。
一応、自分の言葉で書いています。
数行で終わるような手抜きもしません。
毎回、ひとつ一つ力作です(笑)
文字であふれて、読むのがしんどいとの声もあるかもしれませんが、
私の場合、スマホで読んでもらうことなんて、まるで想定してないので。。。 自己満足です。


さて、表題にある
「スピンオフ」とは---

本来のストーリーから離れた、別視線のものを指します。

ここでは、番組の主題をさておき、
私の気づきを中心に、綴ってみたいと思います。


■こんな企業があったとは…

すべての人にとって幸せな職場とはとは、いったいどういうものなのだろう?
そう考えさせられる、あるドキュメンタリー特集をテレビで視た。

障がい者雇用で素晴らしい実績ががある、ある企業。
さまざまな工夫、取り組みがなされている。
粘り強く、強い信念がないと、とてもじゃないがここまでできない。
経営者のその思いに、言葉では言い表せないぐらいの敬意を表したい。


■Twitterで気持ちを発信

関連するサイトをご紹介したい。



しかし、私の関心はそこは勿論のこと、
ドキュメンタリーの中で登場する、ある健常者従業員さんに目が向いた。





Twitterという短い文章、限られた文字数の中で、言いたいことは「詰め込ん」だ。
あとはデティールにすぎない。

だから、繰り返しになるが、
多くの福祉関連の逸話で、困っている人に対し我々は「救うもの」としてしか見ていないのではないか?
(勿論、私も少なかれハンデキャップを抱え、あるときは助けられ生きている。)

しかし、救う対象としてしか見ていなかった障がい者から、〝彼〟は確かに「救われ」た---。


■社長の葛藤

障がい者を雇用する企業は、なにもこのN社だけではない。
ただ、障がい者雇用の継続は、並大抵の努力でできるものではない。
雇えばよいだけだとか、美談で済むものでもない。
そんな困難な壁にぶち当たるのは、スタッフもさることながら、とうの障がい者ご自身だってそうだ。


N社の社長もかつて、障がい者は福祉施設にいたほうがよいのでは?と思ったこともあったそうな…。

福祉施設は、障がい者さんのために存在する。
だからこそ、100%彼らのことだけを考え、応えてゆける。
しかし職場、とくに健常者中心で世の中の経済活動の真っただ中にいる企業はそうはいかない。
利益を挙げ、ともに生活基盤を支えるために働く場所だから。
そんな現実の差比があるにもかかわらず、
あえて仕事に来るという厳しい現実を選択することが果たして障がい者さんのためになるのだろうか?---
そう葛藤があったという。

でも---

人間というのは、自ら働く事でしか得れない何かがある。
日々働き、得た収入で食べ、住む。
その自分の居場所に存在価値をみいだすことができる。
社長が決断したそのことは、やがて苦難な道を乗り越え結実する。


■スピンオフ  ~ある健常者社員の転機

健常者のAさんは、社内における障がい者さんたちの輪の中で働くポジション。
身分は彼ら(正社員)とは異なり、繁忙期に臨時で募集する有期雇用の派遣社員だ。

それはAさん自らが選んで、あえてそういう働き方を歩んできた。
人と交わることを極端に嫌い、できるだけ距離を置いてそっと生きてゆくことを望んでいたからこそ、
すぐに辞めることのできる有期雇用をあえて選んできた。
この会社に来るにあたって、障が者と共にする環境であることは聞かされていた。
障がい者さんと深い人間関係を築く必要もないと考え、むしろ歓迎だったという。

ところが、障がい者さんたちはいつも、自分たちの輪の仲間に加わってくる人には興味津々…。
いくらAさんが「ひっそりと生きてゆきたい」と願おうとも、人懐っこく寄り添ってくる。
Aさんは最初は戸惑っていた。
これまでの職場であれば、Aさん自身が「近寄りがたい存在」であろうとし、避けていた。
しかしここでは、そんなオーラは通用しなかった。
彼ら障がい者さんたちにとって、そんな壁などまったく関係がなかったのだ。

彼らこそ、壁のない生き方を歩んでいるのだろう---。

このことは、筆者(私)も、ハッとさせられた部分である。

やがて、生き生きと働く彼らに出会い、時間をともにし、職場の共通目標に汗を流し、Aさんは変化してゆく---。
Aさん自身、それに気づいていた。
この職場に出会い、それまでの自分自身がつくっていた壁が消えていた。
そして何より、
Aさんは「救われた」のだと思う。

「ものがたり」のホシは、そこにある。




大根おろし猫
支え合うに、上も下もない。




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【2017/08/20 00:07】 | ◇人生観・福祉共生
|
コードブルーというドラマが大人気のようです。
おそらく視聴されている方は多いようですので、きちんとした番組紹介は割愛させていただきます。

番組全般にわたって大きなポジション(テーマ)を占めるのはドクターヘリ。
と、つまりは、医師を載せて現場に急行するヘリコプターのことです。

私のような世代にとって、ドクターヘリが導入された経緯に、公明党さんが尽力したという強いイメージがあります。
今では当たり前の存在のドクターヘリ。 頼もしい存在です。
この番組は、そこにある人間ドラマに注目が集まります。




何話か放送され、8/14の放送分では、痛ましいお話があるものの、
突然降り注ぐ困難を乗り越える二人(結婚前提)の姿が描かれています。
その二人に主人公の医師が贈った言葉が光っていました。



お腹の子どもを失ったその〝二人〟は、悲しみのどん底にいました。
互いに自分を責め、その至らなさに、自分がパートナーとしてふさわしいのか自信すら失いかけています。

夫婦の形は、さまざまです。
ただ、「こうなくっちゃいけない」という、重い荷物を取っ払うことで、あたらしいスタートが切れる。
そもそも、「しあわせ」とは何か? そう、藍沢(主人公、医師)は問います。

相手を、「しあわせにする」「しなくちゃいけない」ではなく、共に目の前の困難を乗り越える---
二人でいるからこそ、それができる。

悲しみを乗り越える二人がそこにいました。





ドラマは複数のストーリーを見せてくれています。

ある事故現場、 
同じく、人の命を救うために活躍するレスキュー隊員。
危険と隣り合わせの彼らもまた、時に傷つき、時に医師の手に委ねられることもあります---。

大けがをしたベテラン・レスキュー隊員が病院のベッドに横たわっています。
彼はずっと、隣のベッドで意識の回復がない少年を見つめています。
食事も拒み、ただひたすら祈るように少年の回復を切望する彼に、
医師や看護婦はせめて食事をとるように勧めます。

ある若い医師は、『あなたのせいではない。全ての人を助けることはできない場合もありますよ。』…と。

しかし、彼(レスキュー隊員)は、静かに語ります。

『私たちは、駆けつけるのが遅かったとか、現場が狭かったからだとか、道具が無かっただとか、
一切そんなことは理由にしません。
それを言い訳にすることはないのです。

だからこそ、訓練を受けている。
僅かな望みがある限り、目の前にいる要救助者に全力で向き合うのです。
あなた方(若い新米医師に対して) も、そうするはずです。』

さらに、『どんな危機的状況でも、この人に任せれば大丈夫だと思っていただく。
そんな隊員だからこそ、ああこの人に任せよう---、
そうじゃなけりゃ、誰も任せたいとは思わないですよね。先生も(医師)同じじゃないですか?』

---まさに、これがレスキュー隊員の魂。


(ここ追記)
そういえば、もうひとつ若い研修医がベテランメンバーに釘を刺されていました。

自らの失敗に対し、『次、頑張ります」』 …なんて言葉を発したんですが、
これに対し、

『患者さんに〝次〟は無いのよ。』

これ、つまり 医師が何らかのミスをおかした場合、患者の生死に関わるわけで、
意図も簡単に「次が」なんて生半可な気持ちで言ってはいけない、と。

これも、先のレスキュー隊員も言っていたのですが、
「この機会」に対する全身全霊の取り組みを指すわけです。
だからこそ、その全ての「備え」が、「日々」のなかにある。

さて、これを自らに置き換えて、皆さんはどう感じますか?
 (追記ここまで)





このたび、私の記事で取り上げたいのは、そこ。

世の中にはいろんな職業があって、華やかでカッコイイのもあれば、
陰に徹する重要なものまで、さまざまです。

電車に乗ること一つとってみても、
車両はおろか、レールひとつとっても、日夜どれだけの保安業業務・保全業務に携わる人がいることだろう…。

それぞれに、「絶対大丈夫」を、当然の答えにしている。
事故や危険の芽を摘み、
事故が起こることを未然に防ぐ。
まさに、保全は100点が当然であって、99点ではダメなのです。

営業などでは、売上が何倍でもいい。上には上に越したことはなく、150点でも200点でも大歓迎されるはずです。
でも、保安や保全の仕事には120点は必要ありません。
ただただ、毎日が100点であること---。
そして「何も起こらない事」、それに越したことはないのです。

今、一つの例を挙げました。

私も同様に、 生命に関わる重大な危険の「芽」を、事前に見つけるという仕事です。
自分で言うのも何ですが、備えに関しては厳しい教育訓練を受けています。日々、緊張です。
職業柄、まぁそれなりの性格すら芽生えてまいりますし、良い事ばかりではありません(笑)

私は、前出のレスキュー隊員や医師のように、生命を「救う」立場にはありませんが、
「未然に防ぐ」という立場であり、
その、法令上でおこなう職務上の「過失」(つまり、危険の見落とし)に関しては、責任を問われる立場となります。

ドラマでのセリフではありましたが、
今、あらたに自分の成すべき責任の重さを思うのと同時に、日々怠りなく努めるよう、誓いたいと思います。

---誇りを持って。



とまぁ、カッコいい事を書きましたが(笑)…

もう随分と月日こそ経っていますが、 タネを明かせば、こういう部署に異動になった身。
女房にも苦労をかけています。

でも今は、全てが血肉になって、これがオレの生業だ、とばかりに気負っております。

まぁ、美談でもないし、するつもりもありませんが、
見栄を張ることもなく、世の中の「成功」とは程遠いのかもしれませんが、
ただただ「ひたむき」に…

そして、その陰にある〝ふたりの歴史〟とととに、

その思いで、 これからも夫婦、二人三脚で頑張ってまいります。




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【2017/08/16 00:01】 | ◇日々徒然
|
◆『一将功成りて万骨枯る』の典型・「インパール作戦」、本当の教訓。  
 ~今夜からのNHKスペシャル(終戦の日・特集)に注目!


今夜(8/12夜)からのNHKスペシャルは、終戦の日も近いので戦争に関する特集が続くよ。 

12日(土)は 「本土空襲  ~全記録」
13日(日)は 「731部隊  ~エリート医学者と人体実験」
14日(月)は 「樺太地上戦  ~終戦後7日間の悲劇」
15(火)は 「戦慄の記録インパール」 (インパール作戦)  

いずれも、お見逃しなく。

とくに15(火)の「インパール作戦」に関するものをご覧いただきたい。
 ※インパール作戦とは?(←クリック)

--- 『一将功成りて万骨枯る その典型がこれだ。

ミャンマー(ビルマ)とインドを結ぶジャングルを、まるで地図上で線を引くような無謀な踏破作戦で、
日本軍10万の大半の犠牲が、飢餓死や戦病死だ。
退却の行程は日本兵の死体で埋め尽くされ、白骨街道と呼ばれた。


この無謀な作戦でのキーマンがいる。牟田口中将だ。
既に戦局は行き詰まり、補給も満足な作戦も立てず精神論だけ。
無謀な作戦の裏に、日本軍上層部の「病理」がある。
前述した『一将功成』の意味を頭に浮かべながら番組をご覧いただきたい。




これを、ただ「悲惨な戦争話」で終わらせてはいけない。
学ぶべきは『一将功成』である。
これはどのような組織、会社等、人の営む世界にあてはめることのできる教訓だ。 

様々な「功」の裏にある犠牲、踏み台---。

「人の不幸の上に幸福(功)を築いてはならない。」
まさに、我が人生の師が語る指導そのものだ。





人の死、犠牲のみならず
大なり、小なり、 俺のおかげ私のおかげ…という空気をかもし出して、自分アピールに余念のない者はいないか?
あるいは、そういう人物に媚び、持ち上げ、自分の居場所の確保や保身に走る者はいないか?

要は現代社会に置き換えれば、 たとえ小さなこと些細なことであっても、
〝インパール〟の系譜はそこにある。

〝教科書〟の棒読み、あるいは感傷に浸るだけでは、「真実の指導」には巡り逢えない。
同じものを読んでいても、見るものは異なる現実。

だからこそ、 「耳」を塞ぐことは避けたいものだと、つくづく思う。




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※ぜひ、視聴を。
NHKスペシャル『戦慄の記録インパール』 
8月15日(火) 午後7時30分~8時43分


【2017/08/12 00:01】 | ◇論壇・主張
|
2014年10月からTwitterを始めました。

手探りの状態から、今は貴重な情報源になっています。
どのような方々をフォローするかにも寄りますが、多様な意見をフォローした方々が「運んでくれる」のも魅了です。

これは、ネットでニュースを漁ったり、長らくブログやWEB掲示板でのコミュニケーションに縁してきたこととは、ひと味もふた味も違うものがあります。
もちろん、いろんな情報に接しても、受け手であある自分がうまく消化できる力がないといけませんね。


また、リプライといって、よそ様の意見に「自分の意見を添える」ことも可能です。
そこでは礼節をまもることは言うまでもありません。

ただ、ここでいう礼節とは、「おべっか」とは違います「。
「波風をおこさない」だとか、ただ仲良くしたいのなら、リプライはお勧めしません。
よくブログコメント・コミュ二ティにありがちな、主宰者へのおべっか(嫌われたくないあまり、あまり反論はしないなど)はTwittreではあまり見かけません。

なぜならば、お互いがフォロー・フォロワーとして対等であり、無理におべっかを言う必要もないのです。
意見があれば賛否自由にリプライします。
特定のブログコミュニティを「巣」にする必要はまったくありません。

ただ、中には「ReTweet」専門という方もいて、それはそれでフォロワーへの意見表明にもなりますし、
多様な意見に対し、個人的な感想として「イイネ」を伝えるだけも可能です。
うまく使い分けながら、ある意味自分の中での「温度差」を表現しています。


なお、個人的に特筆すべき「面白い部分」は、投稿文字数が限られている点です。
いかにその制限数の中で、コンパクトに言いたいことをまとめ上げるか?そこがまた腕の見せどころです(笑)
ただダラダラと書くというより、ショートコラムのように要点を絞り、どうやって伝えるかが大事です。
その意味で、リプライ(相手の意見を引用)を巧く使ってゆくことも一つの技法です。





そういえば、こういった「はっ」とさせられる意見を拝見しました。
とくに興味があったわけではありません。
たまたま縁するのもTwitterの醍醐味。
「へぇ~、こんな発想もあったんだ」というか、全面賛成というわけじゃないのですが、
「唸る」といった感の、個人的にそう感じました。



これには、とくに私のほうからは議論に「介入」するつもりもありませんでしたので、
リプライもリツィートもせず、ただ「イイネ」を付けさせていただきました。
「そういう発想もあるんだな」という意味で。

もし、これが我が子なら、ちょっと話の根底から違ってきます。
戸惑ってしまうのも親として当然です。

ただ、社会には自分の持つ世界とは違ったことを平気でおこなう人(子)もいます。
在学中に懐妊なんて、少なくとも私の縁してきた学校生活では考えられないことでした。
その存在を前提に、社会としてどうあるべきか?
また、教育指導にある立場、はたまた学校現場、いろんな立場で対応に苦慮するのが当然です。
ルールをつくり、ルールを管理する立場、ルールができ背景・目的があったはずです。
そこを考えれば、「遵守する」ことが、集団の利益や価値をまもることになるはずです。
その一方、ルールありきでいいのか? ルールが果たして公益にかなっているのか? 
はたまた、少数の権利はまもられているか?等々、 いろんな考えがあって当然ですね。
立場によってかわってくる苦渋の選択もあるでしょう。

ただ、「どこ本位」であるべきか?
今流行りの 「どこどこファースト」 という基準は、けっして大げさではないはずですね。





次に、話は変わって、
本日の記事のおわりにもうひとつご紹介。

その「意図」は、記事をご覧のとおり。



う~ん、唸る。
ダメダメ自己暗示をかけてしまうという戒め---。

でも、それを逆手にとって 
どんな困難なことだって、「きっと○○になる!」 と口に出して言い続けてみるべし。

---きっと叶っているから。





唸る記事は多々あります。
ますます これからも、目が離せない(笑)Twitterです。
うまく付き合いたいと思います。


(書きかけ)



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【2017/07/26 06:00】 | ◇日々徒然
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